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魯迅さん。

2009/05/29 02:55
と突然ですが魯迅さん。

仙台市民であればみな知っているのですが
今でいうところの東北大学の医学部に留学されていたのですよね。

とぱんださん

これまでまったく気がつきませんでしたが
「僕は」
と自分のことをさす単語をいいますときに

「ぼく↑」
とイントネーションが上がるのだとか

(正確には「ぼく↓」
と下がるのが標準的なイントネーションのようです)

宮城の人はみなそうなのでしょうか?
よーちゃんとかも「ぼく↑」言ってたかな?
気になるところです。

よりによって中国の小娘に指摘されたので
実に悔しい限りですが。

ということは
魯迅さんも
「いやぼく↑はね。」
と言っていたのでしょうか(笑)

「いきなり寒いっちゃ」
とまで言っていたのでしょうか(笑)

おえらい歴史上の人物の魯迅さんがぐっと身近に(笑)

日本語で書いた小説もあるそうですし
かなり日本語が話せたそうですから。

とはいえ
仙台に来る前に日本語を教えた
松本亀次郎先生は静岡の出身。

仙台にいる時に個別添削を授けるなど何かと気を配っていていた恩師
藤野厳九郎先生は福井の出身ですので

実にあやしいところですが
夢広がります。。

押して欲しいのっしゃ。
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記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


カラ(近況15)

2009/05/28 23:28

今日は端午の節句ということで
こちら中国ではちまきさんをみなで食べようではないか
という習慣があるそうな。

(ちなみに20先生部屋に今日の朝に
「これ20先生に渡してください」
とちまきを届けにいったところ
「もーいらん。すでにいっぱいもろーとるんや」
との人気ぶりでございました。)

とアトリエの大家さんが
窯を焚いていて
つなぎにマスクという
ぱんださん最悪な格好の時に
ちまきさんを差し入れてくださいました。
ありがたし。

損得勘定というわけではないですが
今後ともお世話になりますという意味合いをこめて
日本のお茶を
借りる時に大家さんにプレゼントしたのですが
練炭さんも手配してもらえるし
あれこれと助かっております。
20先生からの教え(?)ですが

「人から何かをやってもらうことを
当たり前だと思ったらいかーん」

と。
その場その場で返せるものは返していくべきだと
なるほどなるほどとちまきを食べながら。

卵さんも一緒にさしいれてもらったのですが
端午の節句には卵もセットなんすかね?

とカラ。

あ。

先日ホタテさんの殻をつかって
作品にメリハリをつけようと思っておりましたが
よーく考えれば
貝殻でも卵さんでもCaのカルシウム
アルカリ土類の典型元素であることには変わりはないですから。

これだ。
これか?

ためしてみましょ。
しかし
「身の回り陶芸」
の王道をいっておりますなぁ(笑)

と今日もありがとうございました。
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日本の陶芸逆輸入の巻(近況14)

2009/05/27 04:10
と今日は練炭さんが届かずに残念
練炭さんでもあもあ窯焚きモードでございましたが
実に残念。

まぁ気持ち切り替えて創るかぁと

またしてもごろりオブジェを創りはじめますぱんださんでしたが

アトリエの大家さんがちらりこちらの様子を見に来まして

「え?まだごろり創る予定なの?」

と驚かれた様子。

まぁ確かに部屋を見渡せば
焼きあがったごろりさんが文字通りごろごろ。

床をみましたら
まだ焼きあがっていないごろろさんが
またしてもごろごろ。

大家さんからみればなーんの役にも立たないであろう
ごろりオブジェを命を懸けて創っている姿は
さっぱり理解ができない模様。

草をとってきたり
煙をもあもあしてみたりと

やっかいな人かかえこんじゃったなぁ

と思っているのでしょうか(笑)

日本でアトリエ借りている時は
つい没頭してつっぱしってしまうことで
あれこれ怒られたりしたものでしたが(苦笑)

ここ景徳鎮のみなさまには

言葉もよくわからないし
育ってきた文化も違うだろうし

と理解いただいて

「まぁ日本の陶芸家は
自分で掘ってきた土で
みんな丸いものをつくって
煙もあもあ
が当たり前なのかな?」

と大家さんに錯覚してもらえば
これ幸い(笑)

こうして間違った日本の陶芸スタイルを
景徳鎮に逆輸入していくぱんださんでありました。

日本の陶芸家のみなさま
ごめんなさいね(笑)
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舌打ちとほのかな希望(近況13)

2009/05/26 15:09
と先日ネットをみておりましたら

「中国の男性がもし外国人と結婚するなら
どこの国の人がよいか?」

なる記事がありまして興味深く読んでおりましたら
日本人女性が50%以上でダントツのトップ。

なにやら
「なんでも言うことを聞いてくれそう」
だとかなんとか。

ふーむ、確かにこちらの女性はじこしちょ・・・。

いや誰が見ているか分からないのでこのくらいに(笑)

と逆に
「中国の女性がもし外国人と結婚するなら
どこの国の人がよいか?」

なる記事もありまして、さらに興味深く読んだわけですが

「日本人男性3%」
人気ねぇ!(笑)

どうやらアメリカさんの明るいところだとか
れでぃーふぁーすと的なところの方がお好みのようです。

ち(舌打ち)

確かに以前の会社の日本語の通訳さんでも
日本語は話せるものの、
日本のことが好きかどうかと聞かれたら
かなり疑問なところはありましたからね。

3人のなかでも1人Rちゃんという通訳さんは
ジャ○ーズの山Pが大好き!
とのことで
日本語を覚えることも勉強というのではなくて
好きだから覚えたいという姿勢でしたので

これおなじ通訳さんとはいえ
この根本が違いますと
日本人に対する接し方やらも変わって来ますわね。

これまずは日本のことが好きになって欲しいのですね。


ただ個人的に救いなのが(?)

こちら中国でも韓流ブームが広まっておりまして
「冬のソナタ」
やらみなどうやら知っている模様。
ペさんも人気だそうな。

どこへ行っても韓国のお方と勘違いされる
ぱんださんとしてはこれチャンス(か?)

『まぁそれだけでそんなに喜べるなんて
幸せな人ね』

誰だ?


と。
昨日は大雨。
さすがに窯は中止でしたので腕も楽なのですが。

練炭さんがもうなくなってしまいましたので
ここにきて練炭さんの実力を認めつつある状況でしたので
これこまったなと。

通訳してくれる学生さんもちょうどいないし
3,4日は窯が焚けないかなぁと。

とアトリエにいましたら偶然に大家さんのおばちゃんに
あいまして。

ちょっと聞いてみたところ
「無問題!」
とあっさりと電話してくれて明日には届けてくれるのだとか。

「何か問題があったらなんでも私にいってよ」
と大きめのおなかをゆすり
早口でしゃべるおばちゃんがなんと心強い(笑)

外国ですもの
こうしたちょっとしたことがとてもうれしく
こういう関係性なしには
なかなか陶芸やっていくということは難しいのでありまふ。

と今日もありがとうございました。
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もあもあ煙が吹き出した(近況12)

2009/05/25 03:26
と昨日も練炭さんの白い炎に魅了されながら
窯を焚いておりました。

4日連続

最初は
ブロアーの音を聞きつけて
なぞの白い煙を発見して
ギャラリーのみなさまがやってきたものでしたが

最近では恒例行事化してきているらしく
にわとりさんくらいしかやってきてくれません(笑)

と全部練炭さんにしますと
不純物やら水分も少ないためにそれほどではないのですが

木炭さんやら、素焼きしていない物体をいれますと
もあもあ煙
が大量に。

おとといなんぞは
ぱんださん
「雨天決行」
と相変わらずなことをしましたが

さすがに多少は屋根のあるところへと
アトリエのすぐそばで決行したところ

屋根をつたって大量の煙が
隣のおうちへ(笑)

笑い事ではなく、
ずいぶんと隣のおうち方向から逆方向にあおいだものです。


と昨日からですね

どうも腕、それも肘よりも先の部分がやたらといたい。
「筋トレでこんな場所鍛えたかなぁ」
と不思議に思っていたわけですが

先ほど
またしても大量のもあもあさんが
隣民家に乱入を防ぐために
木の板を急いで逆方向から
扇ぎましたところ

「あ!」

どうやらこの扇ぎ作業で
ぱんださん筋肉痛になっている模様。
どれだけ扇いだんだって話ですが(笑)

後々気がつくなんて
そうとう余裕がなくなっている証拠でもあるのですが(笑)

練炭さんでの焼きあがりは好調です。
ただ全面より炎が当っているらしく
焼き上がりが均一すぎるのが贅沢な悩みではあります。

この内陸部で
ホタテの貝殻でもあればなぁと
無理なことをぼんやり考えております。

ホタテをなめるなよ。
と今日もありがとうございまして。
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セロ引きのゴーシュ(ごろりとしたものを創る11)

2009/05/24 02:43
アトリエの門をあけっぱなしにしておきますと

にわとりさんが
「こっここっこ」
言いながら

ねこさんが
「にゃおにゃお」
いいながら

おいでになるわけです。

楽団にいるゴーシュが
夜中に練習しておりますと
鳥さんやら、ねずみさんやらが
とこところとやってきます
「セロ引きのゴーシュ」
の世界です。
(宮沢賢治著
僕の大好きな「小説」(あえて童話とは呼びませんが)
です。)

先日は灰にしようと
そのあたりの草さんを刈ってアトリエに持ってきたのですが

「む。青菜!」
とめざとく見つけられました
1羽2羽とアトリエに入ってきました
まるまるなにわとりさんを

ノックオンしないように
両手で抱えるという未知の体験を
させていただきました。

そんなにわとりさんの
温かさの残る同じ手で
モノを創っているだなんて

とても僕らしい
「陶芸の道」
をいけていることにありがとう。

カンパネルラと一緒に
このチケットでどこまででもいけるといいな。

とお子もやってきます。
作業前やら、作業の終わった後で手が汚れていなければ
頭をしゃりしゃりしたいのですが

最近は石綿やらを使っておりますので
しゃりしゃりさんをアトリエに入れてあげることもできずに残念。

とここのところ窯を焚いておりますので
上下のつなぎ
帽子
マスク
(窯の色を見る時にはさらにサングラス)

以前はちょこちょこやってきた
しゃりしゃりさんが
最近は僕の姿を見るだけで
泣いて逃げ出します(苦笑)


その晩おそくゴーシュは自分のうちに帰って来ました
そしてまた水をがぶがぶ読みました。それから窓をあけて、
いつかかっこうの飛んでいったと思った遠くの空をながめながら

「ああかっこう。あの時はすまなかったなぁ。
おれはおこったんじゃなかったんだ。」

といいました。


科学と芸術とやさしさの融合

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さや窯さんと練炭さん(景徳鎮10)

2009/05/23 03:00

↓とこうしてアトリエのはじっこにちょこりと窯を設置しております。
雨の時にはひっこめますが。
画像


↓とこれは2回目の失敗した時の外側の様子ですので
「これじゃぁ温度あがらねーよ!」
というつっこみをしてはいけません(笑)
画像


最近はさや窯を毎日のように焼成しております。
1回目に今思えば奇跡的に温度があがってしまい
「なーんだ簡単ジャン!」
と思ってしまったことが、
その後の2,3,4,5回の連続失敗に
つながってきてしまったわけですが(笑)

温度があがらずでしたので
石綿を60cm×7mを150元=2000円ほどで
手に入れることに成功しまして

使用後格段に温度があがりまして
うれしさを隠せないわけです。

最下段のみ練炭を使い
作品の周りは木炭を使っていたのですが、

どうやら木炭が灰になりまして
作品に付着し、作品の表面をどろどろに溶かしてしまっており

こんな窯ですから、てきとーに温度も下がっていくはずと
思い込んでいたのですが、
石綿さんが予想以上にがんばってくれるのか
どうも次の日に窯を開けると
ほのかに温かくどうも徐冷になっているようで

作品の表面はあくまで
「マット(てかりをおさえる)」
にしたいわけですが、
徐冷が利きすぎているのか
「つやつや先生」
になっているのでこれどうしたものかなと。

と木炭ですと灰がかかってしまいつやつや先生ならば
灰が少ないであろう
「練炭さん」
を作品の周りにしてみたらどうかと思い
今日さっそく。

練炭さんですが
火がつきにくいことが難点ではあるのですが
火がついた時の火力はやはり木炭よりも上。

木炭の時にはでなかったはずなのに
上部の煙突部分から
(正確にいえば下からブロアーで
空気を送りますので、煙突はないのですが)

「白い炎」
が出てきました(笑)

やばい色してました。
僕が19歳の時に薪窯を手伝った時に
魅了されたあの炎の色をしてました

1250度は超えているでしょうぞ。
最初ということで練炭さんが多すぎたようです。

明日の窯を開けるのが楽しみでもあり、
不安でもありますが。

とですね。

やはり不安じゃないですか。
窯に火をつけたら、
普通の薪窯とは違ってほおっておいていいとはいえ

たまに石綿をつきぬけて炎が飛び出てくる時もありますし。
(急いであまっている石綿さんを
その破れの上にはって鉄線を巻きつけるのですが)

すべてを昇華させるような白い炎も見たいし
(夜でしたしね。サングラスを今度はもっていかなくては)
で窯の近くにいたわけですが

どうも動悸がするのです。
ふーむ確かに初めての練炭のみ。
どきどきしておりますぞ。

とかるーく流していたのですが
どーも動悸がするのです。

石綿作業があるので
マスクをしているからでしょうか
呼吸もなんだか苦しいような。

・・・・。
む。

練炭さん!!

遠く離れましたところ
これ呼吸楽。
あぶないところでした

文字通りの陶芸と心中するところでした(笑)

屋外だというのに
さすが練炭さん(謎の歓心 笑)

薪窯を愛するみなさまもお気をつけください。

ひさびさに作業の様子をアップしてみました。
よろしくお願いいたしまふ。
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うぉーあいにー(仮)(景徳鎮9)

2009/05/23 02:22

と先日
僕から直接電話で
陶芸学科の人に伝えないといけないことがあり
辞書を引き、必死でピンインを調べて
電話をかけましたが
無事にこちらの言いたいことは伝わったようで
これありがたかったのですが
頭から煙がでるような思いでした。


メールをやってみたわけです、試しに。
あ、これ電話より楽ですし
勉強になります
と感じていたわけですが

20先生が最初に担当したクラスの女の子に
今日ばったりと会いまして。
人懐っこい子で僕も多少教えさせてもらった子なので
メールをしてみました。

「ニー好!
我喜歓見面ニー
下次チー飯口巳!
再見!ぱんだ」

ニーはあなたの意味
チーは食べるの意味

「こんにちは。
貴女にあえてうれしかったです。
今度食事でも行きましょうね
それじゃあ」

くらいのつもりでメールしたつもりでしたが


が先ほど添削をしてもらったところ
我喜歓見面ニー
の部分がどうやら
「貴女が好きだから会えたことがうれしい」
的な意味合いになるらしく

これまずいと。

『それはそれでいいじゃない』

誰だ?


錯語→我喜歓見面ニー
正石角→見到ニー彳良高光

(「石角」と「彳良」は一つの漢字
光は日本語に当る漢字がありません)

「間違い→貴女がすきだから会えてうれしい
正解→貴女にあえて嬉しい」

と急いで送ったところ

「ふふふ。
誤解しないで、貴方の神秘的な中国語分かってましたよ」

と返信が来ました(笑)

『もったいないことをしたんじゃない?』

だから誰だ?

実に新党ぱんだらしい記事をかいてしまいました(笑)
今日もありがとうございまして。
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ブログ交換日記236(景徳鎮便り75) 09年5月18日(月曜)メール

2009/05/21 00:18
6/18(月) 曇 

いつ降るか分から無い様子。   
朝食はキャベツを電気ポットに切って入れて湯掻く、
前日のゆで卵にちりめんじゃこのふりかけとマヨネーズ。 
いつも最近はゆで卵一個の朝食が多いです。

前日の夕食前後に飲酒します、
その折に酒の肴を取りますので、
どうしても朝食は摂りたくありません。 
特別に体重が減った、増えたは有りません。  
これは毎日片道20分の自転車通勤と買い物や郵便局に自転車で走っているおかげでしょうか。  
日本では車ばかりの生活でした。 
自転車でない時は校門までもかなりありますのし、住んでいる寮が4階です。  
これもきつい時があります。 
徒歩も結構いい運動です。 
日本と違う不便さが健康に左右しているのかしれません。


Y先生が4階まで階段を上ってこられた直後などに
ばったり会いましたなどの時
相当ぜーぜーしてらっしゃいますからね(笑)

たまに行く外資系スーパーもバスで30分ゆられて、
バス停までも寮から歩きます。  
最近は正門近くの教務の棟まで自転車、
そして、鍵を必ず掛けてお出かけ。 
ここ景徳鎮は自転車が盗られます。   
必ず鍵をかけ、はずすといった行為は絶対必要です。  
もうこの習慣も自然できます。  
始めはなんて面倒な!と思いましたが。


ちなみにぱんださんの
「ぱんだ1号」
は毛学生曰く
「この自転車って鍵をかける必要があるんですか?」
と言わしめるほど最近あちらこちらにガタがきております
代物でして。

後輪早くも二回目のパンクにて
中のチューブを交換いたしましたが
こいでおりましても何かどこかが不具合な感じが
ぬぐい取れません。
はやくも
「ぱんだ2号」
を見つけないといけないかも知れません。

とはいえ新品を買えばとられる危険が増え
中古ですとしょっちゅう修理屋さんと

実に難しい。
人生のなかでも10本の指に入ってくるくらい
判断の迷うところです(笑)
 
午前中の日課は部屋掃除・洗濯・天気良いと布団干し・枕干し。 
TV・読書・インターネット・メール・手紙書き・読書・予定をメモする・ラジオなどで過ごします。  
今日は昼食は昨日のご飯の残りに外資系スーパーで買ったレトルトカレー鶏肉でした。  
いつも学食は中華料理ですので、たまのカレーは美味しいものです。 
食後1時半まで休息して、出勤です。  
中古自転車に乗って周囲の景色や人の流れ、表情を観察していきます。


今日ぱんださんも夜小腹がすきましたので
(夕食を野菜のおかずのみにし、
できるだけご飯を食べずに炭水化物をカットして
体重の増を防ぐようにしているのですが)
カレーのルーだけ夜食としていただきました。
実においしい。

到着。  
いつものゴミ拾い、ぱんだ君が買ってくれた専用はさみが活躍。 
5分から10分でパスの学生が降りてきます。 
今日は陳学生が通訳のボランテァです。  
だいぶ慣れて小生が学生に言うセリフが限られているのでスムースです。  
時々、トンチンカンの会話となりますが、努めてくれていました。


陳さんありがたいことです。
このお方は英語の方がお得意なお方でして
ぱんださんの付け焼刃英語では
まったく太刀打ちできません。

発音もぱんださんの
日本語発音の英語とは違って
本場の香りがしてかっこええもんなぁ。


ごみ拾いのはさみ5元=75円で
お褒めいただけると
恐縮しきりであります(笑)

今回の講師は教えません。 
自分で創っているか、今日など削りなんかほおっておいて休息ばかり、
これでは学生が可哀想です。 
まだ、基礎の時間です。 
見せてみる。やってみるの反復がないといけません。
給料分は働くのは当然だと思うのですが、
一応、小生には礼儀は尽くしていますが、物足りなさは感じます。


僕も何度かお手伝いに行きましたので
お会いいたしましたが、
ちょっと難しそうな人だなぁとは思いましたが。

これまでの黄先生が
あまりにフランクでオープンなお方でしたので
そのギャップもありますわね。
(ぱんだも黄先生には本当によくしてもらいましたし
今でも寮でばったり会いますと
「アイヤー元気してる!」と
声かけてくれますしね。)
 
帰りの時間となり、雨が降ってきました。 
陳学生にどうするかと。自転車で一緒に帰ると途中で本格的に降ると合羽はありますが、小生の一つ。  
パスは5時半発。  
早く帰りたいし、一時間も待つのは嫌だとか。  
60才のお爺さんの自転車は嫌だとか。 
適当に会話して自分で決めさせました。 
こちらは自転車でもバスでも。


おじいさんの後ろが嫌なのじゃなくて
先生の体を労わってのことと思われますよ。

陳さんはそういうところ
アメリカナイズしているところありますね。
通訳をお願いしたのでせめて学食でおごりますよ
と一緒にご飯を食べたときなんぞでも
自分の分が食べ終わるとぱっと
「ぱんださん私授業があるんで」
と行ってしまいましたからね。

とはいうぱんださんも
「飲ミニケーション」
的なぐだぐだで無意味に長い拘束が
大嫌いなものでその感覚は分かります。

通訳のボランテァは感謝ですが、
こんな時に早く結論が出せなく、
甘えが出るのは近づきすぎの傾向があります。 
いくら、ボランティアでも自分で身を処してもらわないと
急な雨など何ともなりません。

結局、バスとなりました。 
自転車に乗せますと言うのですが。 
判断が遅くもうどうでもいいやとなってしまいました。 


うーん僕はその場にいなかったので
あくまで推測の話しかできないのですが

僕のこれまで感じてきたところではあるのですが
上司がいて、中国のお方が部下である場合は
「自分で決断はしない」
判断をあくまで仰ぐ姿勢をとりますね。

以前の会社でもそうでしたが
現場監督のお方なんぞも
「そのあたりは自分で判断して、こちらにお伺いを立てることもなく
ぱぱっとやってくれないかなぁ」
と思うこと多々ありましたが、
現場監督さんも
いつも通りのことであればいいけれども
自分で責任を取ることをできる限り差し控える
新しいことをするのであれば
日本人がみなの前できっちりと話をして欲しい
と言われたものです。

これが結構なプレッシャーでしたね
ぱんださん工場長とはいえ、
工員さんの方が
ずっと年上のお方が多かったですし
あきらかにみなさま嫌そうでしたし
広州にいる時にはブログに書いたりは
しませんでしたが、
結構大変なこともあったんすよ(涙)

例えばバスに自転車を乗せることを
20先生が決めたのであれば

自転車をバスに乗せるには男性学生に手伝ってもらったり
しなくてはならないので、
「20先生が乗っけて欲しいと言っている」
と陳さんを通して話せば学生も納得しますが

陳さんが決めたのであれば
「私が乗っけて欲しいと思っているので手伝って欲しい」
という言い方であれば、
言い方悪いですが、たかが同い年の通訳さんに対しては
正直男性諸君は手伝ってくれないでしょう。

繰り返しいいますが
ぱんだ実際にいたわけではないので
あくまで想定であることをご了承ください
(ぱんださんも責任逃れをしております 笑)

帰寮後、体を拭いたり、うがいしたりと。 
6時となり学食にご飯は受け付けず、麺類としました。
「三鮮煮面」です。 
スープが美味しので時々食べるものです。 
しゃべれませんのでメモの注文でした。  
寮に戻りTV観ながら飲酒です。 
そして、時々のメールチェックしつつ一日が終わりました。


学食のラーメン系がおいしいですわね。
5時によるご飯を食べて、
アトリエ行って作業して
いつもより早めの9時30分ごろに戻ってきますと
ラーメン屋さんがまだ開いていて
「おやじやってる?」
的な感じで暖簾をくぐりそうになります
(もちろん暖簾はありませんが)

しかし夜の炭水化物は非常に危険です。

明日は劉先生の通訳で交流処に相談に乗ってもらいます。  
毛学生の9月からの補助体制。  
そして、教務課の陳主任にも色々と新学期や次の授業の相談に。


どうもこの話し合い
非常に有意義なものだったそうで
ぱんだも一安心しているところでありまふ。

と50位以内に戻ってきてすっかり安心している
元7位の新党ぱんだの書き手より(苦笑)
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ブログ交換日記235(景徳鎮便り74) 09年5月17日(日曜)メール

2009/05/20 03:55
5月17日(日)
午前10時に約束の2年生4人来室。 
先々週に手ろくろ授業の学生が片言の日本語を話しますので、聞くと友人が日語科の2年生とか。

手ろくろ授業に2度程来て通訳してくれた、周さん。 
今の陶芸専攻の学生に部屋に遊びにどうぞと誘いました。 
この学生は徐さんと言います。


とこちらの周さんと徐さんとも
「一緒に写真を撮ってー」
と言われ
ぱんださんでれでれしてまして
失礼いたしました。

本日、9時45分に電話があり、来室。  
先日、校内で会った周さんと一緒のルームメイト背の高いりさん、おとなしい劉さん。 
出身地の話から。 
陶芸科の徐さんは四川省、後の3人は江西省。


へぇ、徐さんは四川省のお方でしたかぁ。
日本人的顔つきだなぁと思っておりましたが
前の会社の四川出身のイーさんも日本人的な顔でした

そんな徐さんに
「せんせ」
とかわいく呼びかけられると
これ日本に帰る意味を見出すのがさらに困難になります

地図で大凡の位置を話題にしたり、
小生の家族や作品集を見て貰う。 
日語の学生はY先生・N先生・M先生の授業はすでに1年生で受けたと。 
しかし、授業とは違って今日のような日本人と直接の対話を欲っしていることが、
今まで来室の学生で分かっています。


へぇなるほどねぇ。
とはいえぱんだ先生は
いつもアトリエに行きっぱなしで、
たまに帰って来たときにはブログ更新か寝ているかの
どちらかの生活をしておりますのでなかなか会えず仕舞い(笑)

ちなみに現在やっておりますさや窯ですが、
あまりの温度の上がらなさに日本ではご法度のアスベスト入り石綿を購入し(笑)
さやの内側と外側をぐるぐる二重にし点火。明らかに勢いが違いました。
二重にしたにも関わらず、
特に上部の外側の石綿が真っ赤になりつつありましたので
さらにもうひと巻き。
(予想外の行動でしたのでマスクをしている余裕がなく
ずいぶんと肺に刺さった模様(笑))

結果。上部は温度上がりすぎ(笑)
灰がかかりすぎてテッカテカですわ。
色を見ていると1300近くまで上がったようです。
もうちょっとほんのり火色、1220度くらいがいいのですが加減が難しいです。

1段目焼成室(大きなものではなくて、もらってきた高さ8cmのサイズのもので十分でした)
2段目は温度低く素焼きよりやや温度高い程度
3段目が一番よい火色がでました
4,5段目は灰が全面にかかってしまいてかてか。
6段目に捨て間を設置して温度が煙突より直にでないようにし
7段目に煙突と。

たわいのない会話が実は一番役立つことが有るとやってきますし、
小生は今後の協力は複数の学生が要りますので、出会いを大切にする目的です。 
互いの目的が一致します。 みんな真面目です。
自分の授業を優先した基本の学生です。 
帰りには授業以外の時間なら小生の通訳など協力OKですと。  
陶芸科の学生は少しでも日語が好きなので覚えますと。


ですか、それはよかったと
ぱんだもうれしい限りですが
ただ徐さんが日本語が上手になりすぎて
「せんせ」
の舌足らず的なあの言い回しが
なくなってしまうことは非常に残念です(笑)

台○の歌手である
ビビ○ン・スーは控え室の時には
かなり普通に日本語が話せるそうですが
本番になりますとあえてちょっと舌足らずな
日本語を使っているそうです(笑)

自分の売りだすポイントを知っています(笑)

話していて分かったことは、
老校舎の陶芸専攻生は校外の西区という学院の
正門から10分位の寮に住んでいるそうです。 
新しい建物で湖田の近くに昌河の支流があります、
そこから見える建物のようです。 
風呂は小生と同じトイレに設置されていると。  
老校舎の浴室を使う学生は入浴料・洗濯料が要りますし、
冬は入浴後、自室に戻るのが冷えると言っていました。


あーやっぱりそうなんですか。
陶芸学科の生徒さんに会う時には
授業に行く時か帰りの時ばかりで、
5時以降に陶芸学科の生徒さんとすれ違わないので
ホントにここに住んでいるのかなぁ?
とは疑問に思っていたのですが
なるほど解決。

老校舎の中に住む学生は日語生や他の専攻の学生です。 
学院から指定されるので選べないとのことです。 
新校舎の魯学生から電話31日(日)のカラオケの時間は聞いていませんと。 
近々連絡しますと回答。 
楽しみな様子。 
小生は埋め合わせで消化レース程度の付き合い。 


20先生31日までテンションあげておいてくださーい!(笑)

僕としましては
前回聞かせてもらいました
「ビリージョエルのオーネスティー」

しかしあんなにコブシの効いた
「オーネスティー」
は初めて聞きましたが(笑)

あれを是非もう一度お願いいたします(笑)

2年生と話して、昼ごはんを一緒にどうぞと誘い奢りました。 
今後の協力の事もおりますので、彼女たちは出すと言ってくれましたが。
そして、プリンターのインク切れのことを話すと学院近くのパソコン店、2?3軒回ってくれて
「黒インク」は手に入り設置、15元。 
色インクは取り寄せで夜にと。 
明日行くことにします。 
いつでも使える状態にしないといざとう時に不便です。 
わざわざコピー屋か図書館までとなります。 
街中で「復制」と書いてあるのがコピー屋。 
「復」のぎょうにんべんのない字です。 
コピーインクの取り換えや補充が分からず四国の○井さんの色々と指南を受けて対応。


と先ほどぱんだ帰宅いたしましたら
さっそくそのプリンターを使いまして
日本大使館から送られてきました
「インフルエンザ情報」
のコピーをそっとドアのしたに差し込んで
いただいておりました。
ありがとうございました。

と。
20先生の優しさと心配りに
冷や水をかけるようなことは
したくないのですが、

「大変失礼ながら
『転送』
すれば、そのままメールで送れる」

ことをそっとお知らせしておきます。

(@受信トレイから大使館メールを選び
A返信ではなく、転送をクリック
題名欄にFWとくっつきまして、
B空欄になっております、あて先に
ぱんだアドレスを選び、
C送信
であります。)

たった、こんなことでも貴国では不自由します。 
日本ではありません。協力と知恵を使わないといけません。
そして、結果良ければ「感動と感謝と発見」が生まれます。 
日本では至極当然の行動ですが。
これも、楽しめるような気持にならないと長くは住めないでしょう。  
今後の反省として記憶にとどめることとします。 
一つ一つの出来事に苦労が伴いますが。


ちょっとしたことがとてもパワーのいること
なんですよね。
ぱんだの以前の会社はポストが遠かったために
手紙を出すのにも会社の車を使って
運転手さんにお願いして出してもらっておりましたので
「あーそれなら後でいいや」
とずるずるで遅くなるというパターンが多々ありました。

@協力してもらえる中国のお方を探して、お願いできる状態にしておく
ことと
A最低限相手に伝わる程度の中国語をマスターすること
の双方からのアプローチが必要なようです。

外国に住むことはこういったことが日常茶飯事となって起きてきます。
面倒といったら面倒です。 
京都のIさん小生の生き方についての慰労のメール。 
よく小生の性格が分かって見えます。感謝です。 
四国のMさんからも今の生活の現況報告。  
また、修了生のK知君から久しぶりの便りのメール。  


あーありがたいことですわね。
僕からもお気遣いいただいてありがとうございますと
ここに記しておきますわ。
「いやーIさんからメールがきてなぁ」
「いやーMさんからもメールがきてなぁ」
「いやーK知くんから久々にメールがきてなぁ」
と20先生やたらとうれしそうであったことを
お知らせしておきます。

これからもちょこちょことよろしくお願いいたします。

海外ですと特にメールうれしいですよ。ほんと。
受信トレイに新規メールが入っていないとこれさびしいものです(笑)

更に2日前には昨年の修了生が同じクラス仲間で結婚式を挙げた報告のメール。
彼は入校前から経緯があってお世話した瀬戸の窯元の子息、彼女は小生が就職を世話した人です。 
幸福な家庭を築いて欲しいと念願しました。 
帰国したら会いましょう。 
幸福の二人の笑顔を拝見しましょう。  
これ先生の役得です。 
人の幸福のおすそわけを頂戴できます。


例のごろーさんブログでぱんだも
みさせていただきました。
話をしたことはおそらくないと思われますが
同じ陶芸を愛するものとして
本当にお幸せにと願わずにはいられません。

女房からの連絡では、アルバイトで土岐市の今までやっていた仕事を受けているとか。 
小生のまだ少ない年金「満額は64歳」とアルバイトと貯金の切り崩しの生活。 
娘と猫4匹は元気とのことでした。 
小生の貴国での大きな仕事を頑張ってくださいと励ましの手紙でした。 
大したことやってないので少し恥ずかしいですが。 
何といっても貴国で常駐しての教師生活。 
ここ住んでいることに先ず意味があります。



「わしの世代になると女房と直接連絡のやり取りをするのが
照れくさい世代でなぁ」
などと娘さん経由でいつも連絡が飛び交っているそうで(笑)

果たして次回帰国し2ヶ月の期間
どうなることだろうとぱんだ人事ながら心配です。

あ、お孫さんが生まれているのか、それなら安心。

次の展開は時間が要ります。 
日本ではなく活動に色々な制限がありますので。 
ゆっくりやらないと潰されてしまいます。
日本で考えていたこととは大きく違いも感じるこの頃です。
訪中「80日目」の感想です。


お疲れさまです80日。
80日と考えれば十分にあれこれ
新しい道を築かれてこられたと思いますが
20先生のビジョンからすると
もどかしいところがあるのでしょうかね。

ぱんだ訪中80日の頃なにやっていたかなぁ?
80日くらいで一度日本に戻りましたね、確か。
100日過ぎるくらいから
これまた飽きてくるんですよね、
あ、こんなこといっちゃいけないか。

けど、広州のN華収○所と違って
学生さんとのふれあいもあるし
リフレッシュ材料には事欠かない
感じがしますが。

そんなこといってぱんださんが
そのうち
「あーはやく帰りたかー
たたみに大の字になりたかとー」
と言っているかも知れませんが(笑)

作陶のプランが構築されてきました。 
しばらく離れていたせいで頭が回転し始めてきたようです。 
6月は9月からの開始の準備期ととらえてます。 
貴国で制限のある中で何が創れるのか。
万全の日本でないことがどう作用させていくのか。 
スケッチ・手順・コンセプト頭と手描きによって「構想」からです。


6月に準備をして
9月にこちらに来たらすぐにスタートできるように
ということですな。

ぱんだも日本で釉薬系はちょっと買っておかなくては
ならないなぁと思ったりしております。

「陶芸のひとりごと」
があまりに遠いですが(笑)
こちらはゆるゆるいきたいと思います。
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ごろーさーん

2009/05/19 02:20
ん窯さんのごろーさんのブログを見まして
先日コメントをしようと思ったのですが
どうも打てません。
中国からだけなのか?

ごろーさんみてくださっていたら
コメントいただければ、
もしこれからも中国からコメントができないようであれば

メールアドレスなど教えてもらえればと
思っております。

実に私用の記事で失礼しております(笑)

http://blog.with2.net/link.php?325336
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ブログ交換日記234(景徳鎮便り73) 09年5月15日(金曜)メール

2009/05/19 02:07
15日(金)


昨日はピサ申請に必要な大学の卒業証書(ENS)が着かなくて一日中振り回されました。 
あれこれの事務的作業も加わって疲労困憊。 
朝、8時に正門横の学院の郵便物開け取り処に行ってみるが係員はまだいない。  
入口机の上に有った郵便物を探すが着いていません。  
9時に行くと三宝研修所で一緒の女事務員がいました。 
局に電話してくれましたがないとか。 
「アイ」という担当のおばさんに頼んでおきました。 
陳学生に着かない場合の対処を電話するが要領を得ず。 
やむ得ず毛学生に電話して周さんに未着と伝えてもらうが、これも不安。
その後、今だに郵便は未着。  
番号で検索できますが、今は不要。


とこのEMS
先日仙台の母より書類をこちら景徳鎮に
送ってもらったのですが
3,4日で届くというもの。
そして今どこにあるのか?
輸送途中も確認できる優れものです。

ただぱんだ家にしろ、20家にしろ
あまりこれまで海外にモノを送ったことが
ないために、
「何かを緊急で送って欲しい」
という時にやや狼狽するようです(笑)

着かない場合は単に180日申請に変えれば良いとこの時点では思っていました。 
授業終了後、又郵便受付に行くがまだ着いてない。 
交流処に行って係りの周さんに話すが、伝わらず。 
ぱんだ君と毛学生に至急来て貰う。  


ぱんだアトリエよりどろだらけで
直行いたしました(笑)

結論的には、明日、提出するのは取りあえず8月までの「延長届」を公安に出す。  
そして、大学卒業証明書を付けた「就労ビザ」を正式に申請する。  
明日の○安に拘ったのはもう一人の延長者がいるので同時にやりたい。 
「就労ビザ」は二ヶ月かかると。  
ぱんだ君の場合はひょっとして、(中略)。  
しかし、それほど丁寧にチェックするとは思えませんが。


ぱんださんの諸事情はまだ表には出せません(笑)

午前9時前に前夜にEメールで確保してもらった大学の卒業証書を持って
早めに交流処に行くと周さんはもう勤務。 


結局はEMSが届かずに、
20先生の娘さんに
20家の固定電話にスキャナー機能が付いているとのことで
それを利用し、パソコンに取り込んでもらって
メール添付で送ってもらい、
図書館でプリントアウトいたしました。

早めに言ってよかったです。それは雑談に効果ありです。 
雑談して待っているともう一人。 
先日の人事処長の招待宴で一緒した韓国の研修の先生。
英語の片言で話していると、公安に到着。 
手数料として、韓国の先生は800元位支払っていました。  
私は200元弱。

この先生は、以前書きましたが研修料を払って勉強しているそうです。  
53才の韓国○○大学の先生とか。 
人に対して物おじしなくて英語で周さんや私に色々と話してきます。
大学は例の光州事件が有った場所だとか。  
美濃焼の国際陶磁器フェスティバルの事など会話しました。


まぁこの韓国のお方とは僕も一度会っておりますので
たまーにすれ違っては
「アニョハセヨ」
とさわやかなお方です

一応、一件落着。 
周さんと帰国の話題になりました。  
飛行機代は領収書出せば出るかもと。 
(中略)
欧陽さんがOKとの可能性がありますと。  
ありがたい配慮です。  
9月の赴任時も往復を買えば出ることになります。   
小生の2月の赴任時はすべて自費でした。 
面倒をかけないように帰国日・9月の戻り日も小生と
(中略)
上海のホテル代もOKとか。 
人間関係の勝利となりますか。   
周学院長に逐一報告していることは周さんもよく知っています。
先生は院長と特別な仲ですからと。  
地道な報告は功を奏しています。 
相手は多忙な院長でも報告は見ている様子です。  
手紙の必要なものは周さんに院長から送られています。


とこちらも中略が多くて失礼しておりますが(笑)
Y先生やら、N先生を
あおってしまう可能性がありますので
これまた中略にいたしました。
お二人の先生方とは方向性が違ったりする部分はありますが
表の部分はしっかり足並みをそろえておかないと
(そろえているふりくらいはしないと)
そう思っておりまふ。

昨晩は疲れはてて、酒を飲んでも眠れず。 
うとうとで何度も起きてしまいました。  
毛学生のこと・今の講師とのこと・黄先生の仕事場のこと・中国陶磁の旅のこと・
ビザのこと・新校舎の魯学生たちのこと、そこへ陳学生の依頼電話ととてもじゃないですが、
身がもちません。  
眠気もそこそこになりますし、夕食もカップ麺を半分で残す。 
酒の量も少なく受け付けず。 
毛学生が自転車の鍵を返しにドアーの下に入れるので、
事前に貼ってあったボール紙ははずしておいて、
本日のピザや黄先生の通訳のお礼のメモ置いておきました。  


今はただあれこれとたくさんのことが重なっているだけなのでしょうぞ。
ちょうど5月ですし気分もめいります(笑)

以前の会社の上司であるIさんなんぞは
社長よりちょっとむちゃな指示があっても
「はい、わかりましたー」
と返事をされるので

「えーIさん本当に大丈夫っすか?」
とぱんだ後で聞きますと
「うん、工員さんも動かない状況でこんな仕事できるわけがない!」
と力強くおっしゃられておりました(笑)

UさんなんぞはそんなIさんを
面白がる余裕がありましたが
ぱんだは隣に座っているし、そのとばっちりが
僕の方にまで及ぶこともあり、
ひっぱたきたい衝動に駆られること多々ありましたが。

まぁ確かにいうなれば社長がきっちり工員さんに
目を光らせていない状況で
我々がわーわー言ってもかなり難しいのですがね。

まーとにかくこちらのお方を動かすのは
非常に難しい(笑)

彼女のメールでは小生は「心配症」だそうです。  
「心配症」だから上に立って仕事ができました。  
組織で働くようになれば、あなたも分かるかもしれませんと返しておきました。
帰寮して、直ぐ陳学生から電話、意味は分かりませんが、
仲間と写真を撮って欲しいとやってきました。 
何の為のものかはっきりせず。  
どうでもいいやでした。


僕の方にも連絡がありまして
10時に来ると聞いていたのに
11時半にいらっしゃいまして
これ困ったものですが、
「ぱんだ先生かっこいい!
写真を私にも送ってね」
と言われるとすべてを許してしまう
こんな僕で失礼しております(笑)

昨晩来のごたごたで気が抜けました。  
少し放心状態。 ゆっくりしましょう。金・土。  
日曜日は2年生日語生・陶芸の友達が来室します。 
どんなことを話題としますか。
事前に考えておかないと意味のない会話となります。  
相手は暇つぶしでもこちらは貴重な休息です。
休息といっても考えることがあったり、手紙を書いたり、
メールで人との交流を続けています。  
外国だから疎遠で良いとなると帰国してからは人間関係が続きません。   
海外にいるからこそ交流は効果があるものです。   
たった一枚の葉書は大きな成果を生んでくれる金の紙です。


とにかくゆっくり
あせらずにいきましょうぞ。

ぱんだは窯の温度が上がらずに困り果てておりまして
先ほど日本では禁断の
「い○わた」
を窯の内部と外側を覆うことで
温度の上昇を狙っております。
(マスク完備。重要)
さや窯なので窯の耐久性もよくなればと
そう期待しているところなのですが。

と今日もありがとうございまして。
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ブログ交換日記233(景徳鎮便り72) 09年5月12日(水曜)メール

2009/05/17 06:00
5/13 未だ自宅からの郵便物着きません。  
残念! 日本から5/6発送したようですが。 
通常のENSなら3から5日で着きます。  
仕方ありません。 
ここは外国。
貴国です。 
通常の180日としますか。

(木)に着かなければ約束通り(金)の9時に○安にいかなくてはです。 
一日にかけましょうか。  
さて、今日も郵便が着く、着かないで毛学生が最後の頼みで連絡してくれました。  
授業の帰りに郵便局に不足分の切手を貼って再投函。 
上海の段さんに。  
南昌の宋さんの分はよかった様子。 
同じ省内と上海では記念葉書は金額が違うことが分かりました。  
昨日の領事館の分も返送となります。  
こんな事も経験で分かっていきます。


記念はがきの金額が送り先によって違う?
本来であれば中国滞在2年のぱんだが
知っておかなくてはならないことなのですが
20先生から教えてもらうことばかりで
失礼しております(笑)

観光で来ているわけではありませんので、色んな事が起きます。 
しかし、レべルが。 
人は楽しいことばかりでない事もわかっていますが、
何かすっきりしない感じです。
100パーセントは求めないとすれば達観です。


今の複雑な現代社会の中で生きていく時にに
達観できてしまうような環境がどこにあるでしょ。

人と人が生きていて、
それぞれがそれぞれのよいと思う価値観で
生きているのですから
ぶつかること、時に傷つけ傷つけられることは
致し方ないところではないでしょうか。

それでも前に進むことに
そこに美しさがあるのだとそう信じたいのですが。

創ることで意識を変える時期のようですかね。 
しかし、日常生活でやらねばいけない事、
日本なら、いとも簡単な処理も貴国では時間や辛い思いもあります。  
それは、年齢や大したことない過去のプライドに執着する為でしょうか。


過去のプライドは僕には分からない部分ですが

M井さんが
「いやしかし20先生は元気だ」
といつも感心されておりますが
とはいいつつも、やっぱりありますって年齢的なものは。
こればかりは仕方がないところでしょうぞ。

帰国時に以前参加しておりましたチームのサッカーに
混ぜてもらいますが、
これ確実にこの2,3年で体力は落ちましたね。

中国に来てからもかなり体のケアには気をつけてきましたし
今もバランスボールをいす代わりにつかって
ブログを更新するなどしておりますが。

やはり中国勝手が違います。
それこそ電話一本で粘土が届く日本とは
大きく違いますし

粘土を買うにも、アトリエ借りるにしても
窯に使う炭を買うにしても
中国語は必ず付いて回りますし

誰か通訳をお願いするならば
その通訳さんに気を使わなくてはならないですし

あー大変(笑)
ですが、中国ですもの
避けては通れない道のようでもあります。

僕も近頃は本気で中国語勉強していますし。

そうですね、
あれこれとありますが
僕もいまアトリエでちょこちょこと
創っている時間が一番心休まります。

創り始めはあれこれと考えますが
手が慣れてきますと、頭のなかは無心に近くなります。

他人を遮断しての自分とのうそ偽りない対話
 
人の為にやった行為で悩み苦しむならやらない。  
これも心理です。 
人の為にやって反応が良い前提を期待するので苦しみます。  
それなら、しないことが良いとなります。  
自分も恩を受けた人生なのに恩を返すという
崇高な次元で生きたい思いで行動するのですが、
こんな事も考える時期かもしれません。


しかたありません。
こうなれば本当にホトケになるしかないのではないでしょうか(笑)

もはや人のためだとか、
返ってくるものがあるだとか
そういうものではなくて

「ただ自分がしたいからしました」

と無償の愛にたどりつきたいものです。

河井さんも
「仕事はいのること。
創ることでいのらざるを得ないし、
いのるまえに実はすでにかなえられているものでもある」

とここまで僕は生きているあいだにたどり着くことが
できるのかしら(笑)

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ブログ交換日記232(景徳鎮便り71) 09年5月10日(月曜)メール

2009/05/15 03:45

5月9日(土)前日に愛知県陶磁資料館の森○也主任研究員が
学院に来るので予定を入れずに待機。

朝は湖田村の日新百貨に行って、周辺の屋台で買い物、卵5個(赤卵)・日曜日の朝の日語生の果物を購入。 
その後そのまま足をのばして、いつものバス停の日新百貨の裏通りで花を購入。 

室内の雰囲気はお花で大きく変化します。 
これも日語の学生の来室用です。 
雰囲気を女学生ですので少しでも暖かくする誠意です。 
一日は何時でも対応できる様に休息です。


えーぱんだ部屋は
陶片が転がり、
創ったなぞの作品が転がり、
新聞の切り抜きがあちらこちらと
大変なことになっております。
お花どころではございませぬ。

洗濯も終わり、先日の部屋のカーテンの補修で針と糸を使って開きすぎの箇所を補修しました。 
縫製は下手ですが日本でも難なくやっていました。 
TV・読書・転寝の休日。


まめな人だなぁ(笑)
とはいえぱんだも
5年6年はいているお気に入りの
「エターナル」なる純日本製
made in 倉敷ジーンズが
さすがにぼろぼろになってきましたので
ポケットを補修し、ベルト通しを補修しと
そんなことは好きですが。
まずもって
「そのジーンズもう捨てたら」
という声は聞こえないふりをしているのですがね(笑)

僕としては直しになおして
一生はきたいと思っているのですが

屈んだりしましてひざのほつれが
さらに目立つ体制になりますと
先日なんぞは黄先生が
露出たっぷりの膝頭を
こねこね触ってきます

愛すべき人です(笑)

このジーンズはいていると
生徒さんから
「酷!」(クー!)
(英語のCoolの当て字らしいですが)
と言われます。
果たしてほめ言葉かどうかは
よくわかりません(苦笑)

夕食は学食で6時に摂り、ビールを飲みはじていると、電話あり、
7時30分頃に交流センターに森先生一行が来学とか。 
早速、着替えてお出迎えに行きました。 
互いに名前は承知。

森先生は小生のことは訪中前の新聞を読了とか、
また、柴○先生や仲○部長の話、大長学芸員の話題で接近しました。 
全員は浙江省博物館員・大阪東洋陶磁美術館の小○仁学芸員などの面々。


新聞は田○さんが
あれこれの新聞社に掛け合って
載せてくださったのですよね。
ぱんだも画像ファイルとして取り込んでおります。
もし読みたいというお方いらっしゃいましたら
ぱんだまで連絡をお願いいたします。

交流センターの5階の資料館にて対面。 
その後は劉先生の上司、曹博士の研究室へ。 
途中劉先生の取り組む「中国陶芸辞典」の編纂室に招かれと、
一人の博士は文章整理中、名刺を渡すと小生のことはご存知でした。

来室のメンバーは曹博士
「先日の集中講義で小生を紹介していただいた史論系の主任」のコレクションの観賞。 
その後二手に分かれて今後の日程について。 
今回の訪問はト○タ財団の寄付の200万での調査とか。 
景気の良い二年前での事で進行。


えーということは
この訪中も後1回、2回ということなのでしょうかね。
さすがのト○タさんもずいぶんと苦しいとのことですし。
僕の友人も二人ばかり勤めておりますが。

先日その友人と久々にゆっくり話をする機会が
ありましたが、ボディーの原型関係の仕事をしているとのこと。
ぱんだも鋳込み型のことは仕事であれこれやっておりましたから
型の使用回数限度のことやら、
彼は大学院をでておりますので、年下ながら幹部的な仕事だそうで
たたき上げの現場のお方を動かすのにとても苦労しているだとか

「いやーこんなに仕事の話を理解してくれる人は
はじめてだー」
とAさん語ってくれておりましたが、
窯業業界は苦戦が続くと思われますので(笑)
名古屋の景気はト○タさんにかかっておりまふ。

東洋陶磁美術館の小○学芸員と恩師藤○先生の事を話題に、
現在は伊○○太郎館長は今年退官して、出○さんが館長とか。
昔、藤岡先生の話の中で出○さんは当時弓○先生の指導を受けていた人です。

弓○さんは現在、京都橘大学の教授です。  
森さんとは小生の送別会で先輩である柴○先生の話をすると、
一年くらい会っていません。 
ご無沙汰で失礼していますと。 
小生のことは新聞で読んでいましたとか、何年いるのですかと、話題としました。

ジャンルは違ってっても共通の繋がりがあって、話題は尽きません。 
故宮博物院の学芸員も紹介されました。 
是非、お尋ねくださいと。 
こうして又、人脈は果てしなく広がっていきます。

10時に見送りました。 
またどこかでお会いする先生方です。 
学芸畑の人ですが陶芸の分野でのバックボーンとしては
中国陶芸史は欠かせません。  
これも恩師藤○先生のお陰です。


へい。
中国陶芸史勉強徐々にですがしておりまふ。
やはり行ったことのあるところが
頭に入ってきやすいですわね。
長沙窯の資料をあれこれともう一度読んだりしております。

物つくりには背景がしっかり構築されていないといけません。  
どんな世界でも必ず必要です。 
新しい作品創りには特に大切です。 
何をペースとして新作を創るか?  
これは陶芸のみではありません。

創作作業には根底に何を持っているか、
何を規範としているかがないと続けれません。 
単なる一過性の人は時とともに消えます。 
何が創作の原点は何なのか!

思いつきの創作陶芸は続きませんよね。 
ネタ切れがそのまま創作の限界になることを。


いままではありがたいことに
創りたいものにこまったことなど
一度もなくありがたいことだと思いますが
ふと、
「あ、これだ!」
と感じるインスピレーションを受けることが
後々できなくなったらどうしたものかなと
怖くなったことはありますね。
年齢を重ねるごとに鈍っていくものだと
まだ感覚の衰えを感じたことはありませんが
徐々にそうなっていくものなのだろうなという
感覚はあります。

これ僕の場合ですが、
それこそ通訳の毛さんに
「ぱんださんは本当に子供!」
と毎日のようにしかられておりますが
「粘土にこんなものを入れてみたらどうなるのでしょ?」
と飽きもせずに
ガキンチョが裏山に秘密基地を作って
こちょこちょ楽しんでいるような部分を残せていることが
どうやらいいようであります。

このインスピレーションばかりは
目に見えるものではないし、
気がついた時にはすっかり枯れているという危険性もあり
この思いつく感覚を
「技化」
しておきたいとは強く思います。

どういう時に、何を見た時に
どういう精神状態だった時に、
思いつくのか
詳しく記録しておきたいと思っています。

そして若いとされているうちに
受けるべきものをすべて受けきってしまい
後は研鑽の時間としたいという思いもあります。

うん、とてもどうやら今が大切なようです。

今日もありがとうございまして。
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ブログ交換日記231(景徳鎮便り70) 09年5月9日(日曜)メール後半

2009/05/14 03:05

出発まで、町中の店を見て回り、九江記念にバックを購入しました。  
国際交流処にお土産と思っていましたが、良いものががなくて断念。
バス乗車前に交流処の○○さんに終了のメールを打ってもらいました。  
こうして逐一報告することは感謝の表現です。  
国際交流処がする仕事などと思っていると大きなしっぺ返しを受けます。
ここは貴国であり、日本の感覚は通用しません。

自分の行動を正確に表現して、
やや日本人は面倒で分かっていると言う感じはダメです。  
自己表現は行動と言葉で表さないと、慎ましい形は伝わりません。 
尤もあくまで日本人流で通すか否かは本人の価値観ですればいいですが。  
小生は貴国のしきたりや感覚でオーバーと言われようが、
自分の行動は細かく表現していくつもりです。  
自己主張しすぎと言われようが。 
こんな行動は時を逸しては効果なんかありません。 
誰かがそっと見ている美徳は日本です。 
貴国で目的を持って達成しようとするなら必須でしょう。


ははー。
なるほど。
ぱんだちょっと「まぁいいだろ」的なところありましたわね。
反省。
もうちょっと中国語が話ができればスムースなところは
あるのでしょうがね。
逐一電話はお互いに手間なので
メールが使いこなせればこれ便利なのでしょうが。

南昌の○さんがもっておりましたが
ペンで画面に書くタイプの携帯電話がありますわね。

これでささっと書いて送ることがゆくゆく可能であれば
チャレンジしていきたいものでふ。

帰りのバスはウトウトしながら、運転手の行動がおかしい。 
チェンジがうまく入らない様子で心配なので注視。 
バスガイドは前の席で爆睡です。 
そしたら、減速、停止で修理するが無理の様子。
トップに入れずに走行開始。やれやれ小生でもこれで安心。  
報道なんかで運転手が運転中に体調が悪くなって危機から脱出なんて記事を読んでいますので
安心して寝ているとそのままあちら行きです。


ぱんださんも爆睡しておりました(笑)
あぶなくさようならです。

以前香港に行きました時にもちょこちょこと
バスのエンジンの調子が悪いだとかで
止まったものですわね。

車が蛇行したり、異音を感じる事ができる態勢での乗車も必要です。 
今回も何の説明もなしです。 
帰国の飛行機が飛ばず8時間待った経験もあります。 
遅くなった放送はありませんでした。 


香港の時には
一応アナウンスがありましたが
よりによって広東語でしたので
せめて中国語で話をしてくれよ!と思いましたが
一言も分からず(笑)

となりに座っていたアラブ系のおじさんが英語で
「今なんて言っていたの?」
「ごめん、僕もまったく分からない(笑)」

と心細いやり取りをしたことを思い出します。
代替のバスが後ろから追いかけてきて
3時間遅れで香港に着きましたね、確か。

今回は1時間位の遅れで無事到着。
学院に戻る前に名刺屋で原稿の確認をしてもらいました。 
日本では100枚で6000円(表・裏)・貴国では500枚1000円少し出できます。 
この際と500枚にしました。


しかし名刺安いですわね。
僕もそのうち作りたいものです。
1000円ちょっとなのであれば
ぱんだ党の名刺やらもシャレで作ってみたいものです。

もし
「あ。わたしも名刺作って欲しい」
等あればぱんだメールに一報ください。

寮に戻り洗面後直ぐ交流処の○〇さんに出かけて報告。 
学生からメール入っていましたと、
こちは意図的にメールを打ってお礼との行動を報告として動いています。 
相手は自分が手配しているので報告されれば気分が良いものです。 
3日後に着きますのでお願いしますと。  
そして、参考に領収書2枚見せると気分が良いのか、
○先生にお金が出るかもしれないので申請してくれると言ってくれました。

足を運んだ価値があるかもしれません。 
元々自費と聞いていましたので、
もし戻れば○○さんに少し土産代りにキヤッシュバックすると言うと笑顔。  
こうして何でも些細なことでも報告して交流します。
相手はもうメールしたのだから分かっているという判断で終わっては普通の行為です。 
日本人でもそれまででしょう。 
そこからの一歩が勝負です。  
疲れもこれで飛んでいきます。


その確か村上龍が野球大リーグに
当時移籍した野茂のことを手記で書いていた時に
「自分とは違う文化を持っている人と
分かり合えた時に、より喜びが大きいという感覚が
人にはもともと備わっているようである

(だからこそ野茂は日本にとどまるのではなくて
アメリカに行ったと文章は続くのですが)」

この感覚は確かに僕もよく感じます。
損得抜きでとてもうれしいものですわね。

日本語学科の学生さんはある程度普通にコミュニケーション取れてしますので
逆に陶芸学科の学生さんと中国語やら英語やらで
なんとかなんとか伝えようとして、あちらもなんとか聞こうとして
その伝わった時のうれしさといったらありません。

時を得た、素早くすることで効果が倍増です。 
ノンビリは時として命取りになります。 
人は自分と同じペースで生きていません。 
遅くなるなら遅くなると報告をしないと伝わりません。 
仕事の時の優先度を明確にする習慣をつけないと、
一度の印象は一生の印象となりイメージはなかなか払拭されません。

やる時は素早くやって、後はノンビリと結果を待つ習慣が大切です。 
特にまだ実績がない場合は特に注意が必要です。 
信用されていない間に信用をなくします。 
相手の立場を立てて感謝は言葉や形で表現します。 
これは、もともとは欧米のスタイルですが、
今は日本でも身につけねばなりません。 
程度の差は個人で異なります。  
ここは貴国で日本ではありません。 
要求には早く応えましょう。

自分にやってくれれるのは当り前ではなく、
そうであっても、やってもらっているとの感謝がないと
人間関係は難しいものです。  
小生も日々自戒の判断と行動です。


はい申し訳ないことにブログの更新が
最近遅れがちになっております(苦笑)

この場を借りまして報告しておきますと
遅れがちではあるのですが
毎日せめて細切れでも更新しようと
努力していく所存ですので
20先生今後とも見捨てることなく
メールの送信のほどよろしくお願いいたします。

ありがたいことに
ぱんだ最近どうも忙しいです

作品創りが起動に乗ってきたことやら
窯を改良しようとドリルをごりごりやっております。

窯を焚いているあいまに
パソコンを開いてブログの返信を作り
さらにテレサテンの音楽を聞きながら
中国語の勉強と
アナログとデジタルの謎の融合
な日々を過ごしておりまふ(笑)

バスの中で劉先生から電話。 
愛知県陶磁資料館の森○也先生が学院に来るとか。 
先生の上司・曹先生 「博士・史論系」に会いに、
先方も小生を知っているのでお会いしたいと。 
ともに県職員で資料館とはつながりも深く、
互いに行動は知っていますが直接は会っていません。 
小生の送別会に出ていただいた、柴○○夫先生は森先生の先輩です。 
柴○先生は名大の考古学教室で
「猿投古窯」の権威者・楢○彰一先生の教え子です。 
楢○先生は恩師藤岡先生と入魂の関係です。


瀬戸にいる時にはお世話になりました
愛知県陶磁資料館

講師で来てくださっていたT先生が
「陶磁資料館の駐車場の脇でいい土がとれるんだよねー」
という情報を聞きつけて、その日のうちに
授業終わりで陶磁資料館に向かい
「なぜこの人は閉館時間付近に現れて駐車場あたりを
うろうろしているのだろう?」
と怪しまれたりしたものです(笑)

(ちなみに陶磁資料館駐車場付近は
今では笹が一面に生えており
とてもスコップでは太刀打ちできずに
引き返してきたことを思い返します)

愛知県陶磁資料館が発足時には
県工業振興課から藤岡先生に中国陶器購入依頼があり、
柴○先生はその時以来、藤岡先生と関係があります。 
小生が藤岡先生の教え子でもあり以来繋がっています。
(金)に中国着。(土)ならお会いできますと返事。 


ぱんだが以前おりました広州近くの
窯業都市佛山で日中韓の三カ国の作家さんの
作品を集めての展示をしていたことがありましたが
その時に日本の作品を取り仕切っていたのが
瀬戸の陶磁資料館でして
たしか森さんが序文を書かれていたような
記憶があります。

(日)の午前中は日語が学生で日本留学相談に来ます。 
陳さんの約束は延期してもらいました。 
急な訪問や面会は選びたいですが、
日本で自分が帰国後に関係する人は極力時間を割きたいと思っています。 
今後も。 
それは小生は永遠に貴国にいるものではありません。 
貴国からの実績で又、日本で役立ちたい思いです。


ぱんださん意外と夢をよく見るのですが
先日は誰だかよく分からないお方に
お説教されておりました(笑)

「君はいつまで中国にいるのかね?」
「えー。わかりません」
「まぁ君の好きにしたらいいけれども
最終的には、
そして一時帰国の時には
日本に還元するように」

誰だったのでしょう
すべて見透かされているような気分になりましたが(笑)

えーさすがに寝てもいいでしょうか(笑)
今日も怒られるのかもしれません(苦笑)
おやすみなさい。
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ブログ交換日記230(景徳鎮便り69) 09年5月9日(日曜)メール前半

2009/05/12 03:29

8日(金)早朝より九江に「健康診断書」受診に出発。

バスの切符は校内の医療センターの上で購入可。ただし片道のみ。 
今回の受診は「就労ビザ」申請に必要な為に出かけました。 
今まではFピザは最長180日です。 
小生も始めは90日です。

観光で滞在は15日以上となると「ビザ」が要ります。 
日語教師は今まで180日で済まして、更新ということでしたが、
今回小生は「就労ビザ」とう下りにくいものに挑戦。  
ダメなら180日です。


以前の会社での会長さんが持っておりました
「就労ビザ」
これを手にすれば
「いついつまでに帰国しないといけない」
だとか
「ビザが切れそうだから香港まで行って来ます」
だとか
そういった手間なことから開放されますので
これは確かに楽ではあります。

今まで国際交流処は手続きが簡単なもので対応してきたようです。 
今回が成功すれば次からこの制度を活用できて便利との思いでやってもらいます。
必要書類は

@  履歴書(活動歴・仕事の経歴・自宅住所・電話番号・Eメール)
A  推薦書
B  大学の卒業証書(写し)
C  健康診断書
D  パスポート(写し)
E  写真
F  提出書類・中文と英文(サイン)
G  手数料……本来なら日本なら旅行社や専門業者に頼んで大使館・領事館に提出してもらいます。 


「大学証書の写し」
はぱんだも日本の母に連絡しまして送ってもらったのですが
「申し訳ないのだけれども、卒業証書の写しを送って欲しい」
とメールしたところ
「え?大学の?それとも訓練校の?」
とああそうか訓練校のものを送るという可能性も考えられるかぁ

「すいません、大学のものをお願いいたします」
  
九江は以前の旅行に景徳鎮→九江→南昌→吉安と通りました。 
観光都市で道路もきれいで静かな町です。 
世界遺産盧山があります。


九江は本当にごみが落ちておらず
観光都市というのはやはり違うものなんだなと
感心しました。

近くて遠い廬山。
きっとそのうち行くこともあるでしょうと
思っているのですが
そういうものこそなかなかいけないもの
なのでしょうが。


健康診断は始め受付で申請用紙を提出。  
一応マニュアルがありますが、陳学生がやってくれて早く完了。  
感謝です。  
私では時間がかかったでしょうが。
受診は30 分位で完了。  
結果は3日後位に本人に郵送されて、交流処には「写し」が送られます。 
高速バスに乗る前に腹ごしらえです。 
検査のために水・食べ物は摂っていませんので。


ぱんださんは水をずいぶんと飲む方でして
そのせいでしょうかね
こちらの学生さんに
「ぱんだ先生は25歳くらいですか?」
といわれほくそ笑んでおります
(本当の年齢は教えません 笑)

アトリエに行く時も暑いせいもあるのですが
午前中だけで500mlを3本はあけますもの。

ですので
「水を飲まないでください」
はかなりきついものがありましたわね

と今日もありがとうございました。
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ブログ交換日記229(景徳鎮便り68) 09年5月7日(木曜)メール後半

2009/05/11 01:53

今まで小生も異常な位の人と接してきました。  
人間的に弱さを持った人ほど「情」に熱い人です。  
それは自分の弱点を多く経験しているために
人の弱点が許せることができます。 

難なく上の立場に立った人は人の世話はできません。  
人の世話が自分に返ってくることが理解できず
全て自分の力と錯覚するのです。 
人に多くの機会や出会いを与えていく事で自分を磨きます。

それは煩雑な行為で状況判断や時間・経済の力もいります。 
「教育」とはある姿を示してじっと育つ下支えをする事にあります。  
粘り強く。 
小生はこの粘りが少なく
人を早く見切ってしまう傾向があることは自覚していますが、なかなか直りません。


はやく直していただかないと
「ぱんだくん君はもういらーん」
と言われかねませんので
よろしくお願いいたします(切実 笑)

ぱんだも日本に戻った時などに
ありがたいことにあれこれと相談を受けることがありますが
(普段いない人ということで話しやすいところも
あるようであります。
存分に使っていただけるとありがたいです)
日本に滞在する時間も短いということもあり
本来ならばもっとじっくり時間をかけて
出来ることであれば自分で答えを見つけるように
してあげるのがよりよいとは思うのですが
ぱっと「僕ならこうすると思う」
と端的に言ってしまうところがあり
申し訳ないなぁと中国に戻ってくるたびに
反省するのですが。

人の弱点はよく理解できます。 
人はそういう動物です。  
周囲の人の良いところを身に付ける努力をしましょうか。 
これもなかなか難しいことです。

以前、修了生で訓練途中で退校した人がいました。 
小生のクラスではありませんが、
相談されましたので結論は本人ですが参考意見は言いました。 
そして、弟子入りです。  
何ヶ月たって小生に電話ありました。 
毎日、先生に接していると、いやな所が気になり小生に恩師の悪口まで言いました。  
勿論同調してほしかったことや甘えや気楽さもあったのでしょう。

小生はピシャリ!
「恩師の悪口を呑めなくてそれを外に言うなら
ルール違反ですので弟子を辞めなさい!」と指摘。  
このようなことは過去二人いました。 
今、その二人も陶芸界にいません。 
一人は30過ぎの女房持ち。 
もう一人は20代後半浜松の人です。  
今でもしっかり覚えています。


えー気をつけます(笑)

ぱんだは愚痴や人の悪口は
たまーに言ってしまいますが、
出来る限り言わないようにしております

「あんまりにもマイナスのことを言わないから
それはそれで心配になるのだけれども」
と母から言われることもあるのですが

昨日母の日だったそうで、メールせずにごめんなさい。
いつもいつも心配ばかりかけてごめんなさい。
息子は一生懸命にがんばっております。
心配しないでいてくれることを
息子は一番願っているのですが
母親というのはそうもいかないようです。

いつか旅行に行きましょうね。

どんな先生に出会い師事するも自由ですが、
世間は正義がすべてではありません。  
泥沼の蓮の如く正濁の中で人間は生きてます。  
最低のモラルも人の価値観で勝手に決めます。  
自分の価値の判断で生きていきます。  
自分として、容認できない人間関係は自ら戦列離脱しないと健康に悪いです。  
誰も拘束なんてしません、 
自分が思っているほどの影響は全然ありません。

人は最終的に自分本位です。 
但し、少しの譲歩で暮らして幸福を求めることも可能です。 
かなりの精神論となり恐縮です。  
要は各の如く人と人の繋がりは大変とのことでした。


いつかのブログの記事にも書きましたが
元総理大臣の中曽根さんが
「一つになるためであれば大いに妥協する」
のだと。

本当に譲れない部分以外は
僕は本当に何でもいいと思えるようになりたいと
願っていますが、
ちっぽけなプライドが邪魔をするわけで
ああ小さな男だなぁと反省します。

坂本さんの親友であり同士だった
武市半平太を殺してしまった土佐藩家老の後藤象二郎

当時土佐藩も時勢に乗り遅れ気味になり
坂本さんの海援隊も船が沈むはでにっちもさっちもいきません

坂本さんが薩摩や長州と太いコネクションを持っていることを
長崎に来た後藤さんは知り、
「すべてのことを水に流して手を組もうじゃないか」
と持ちかけるわけで、
うらみつらみの塊のようになっていた海援隊のみなさまは
ぷんぷんに怒るわけですが

坂本さんは
「お互いの利益になればいいのだ。
お互いが舌を出して餡子がなめられれば
饅頭の形はどうであってもいい」

のだと。

その後大政奉還の案を後藤さんに授けるわけですが
(後藤さんはお殿様の山内さんに伝えましたが
坂本さんが案の出所であることをお殿様には知らせずに
自分の手柄にしてしまいました)

土佐藩を見限り脱藩した坂本さんに魅力を感じて着いてきた
海援隊のみなさんは
土佐藩を救うことになることになる大政奉還の案を後藤さんに授けることが
不満だし疑問に思うわけですが

「わしが土佐藩のために動いちょると思っているのか?
そんな土台のうえにはたっちょらせんよ。
郷士だとか上士だとか農民だとか武士だとか
そういうことも煙のように消え果てて
すべての人が自分のやりたいことが出来る世の中にしたいだけ
『にっぽんじん』のためにやっちょるんよ」

ああ!「身分証明書」の番号は「1076」
5月6日時点での景徳鎮陶磁学院には1076人の職員・教員が存在することとなります。  
後はこれの発行できない関係者です。   
まあまあ!多くの人間関係が渦巻く学院です。


とすっとこどっこいのところだけが
とりえのぱんださんが
果たして
「すべての中国のみなさんのため」
に一体何をして何ができるのか?

楽しみでもあり、不安でもあるわけでし。

今日もありがとうございまして。
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ブログ交換日記228(景徳鎮便り67) 09年5月7日(木曜)メール前半

2009/05/09 00:43

5日(火)6時から学院近くのレストランにて人事処長による招待宴。

出席人は二人の副院長、うち一人はナンバース―リーのS副院長・人事処長は何と37才の人。
そして、国際交流処長・教務の主任・北京精華大の先生「以前宴席でお会いした人」・
韓国の交流先生・韓国の通訳の学生・ぱんだ君。と私。日本語通訳の劉先生(東京芸大・博士号)。

ぱんだ君の出席については躊躇がありましたが、意図したことがあり決行。  
人事処長から周学院長から私の事は聞いていましたが、多忙で会えずに済みませんでしたと。   
いえいえ恐縮です。


えーぼんやりと座っておいしい料理を堪能しておりました(笑)
もうちょっと中国語が話せれば、あれこれと
会話にからんでいくことが出来るのですがね。
内容は結構聞き取れているのですが
Iさん帰国前にお忙しいところ申し訳なかったですが
日中と中日の辞書をお借りいたしました。

さしあたり菊練りの時用としまして
「もちあげる」
だとか
「倒す」
だとか
をノートに書いていざ授業に行くわけですが
はっきりいってやってみせた方がよっぽど伝わります。

伝わることが核心ではあるわけなので
これでいいことは分かっているのですが
それが甘えになっているようではこれはいけません。
結果として中国語を覚える覚えないは別にして
覚えていく努力をすることが
お世話になっている学生さんへの真摯な姿勢なのではないかと。

余りの若さに隣の劉先生に聞くと、今の中国は能力主義で若くても力が有れば抜擢されますと。 
確かに1000人の人事を任された人です。 
そつがない接待ぶりです。 
国際交流処の処長と同じ匂いがします。


でしたね。
温和な表情のなかに時たま見せる猛禽類のような目の鋭さをみました。

懸案の「身分証明書」を求めると
「問題ありません。作りますので3センチ×4センチの写真出して下さい」とのことでした。 
この「身分証明書」は中国では昔から大切な意味をもちます。

以前は人に会うと
あなたはどこの「単位・タンウェイ」と必ず聞かれ、身分で人をまず値踏みします。 
これがないことは「無職」とされ信用されません。  

色んな場面で活躍する優れものの「通行手形・水戸黄門の印籠的価値」存在です。  
困った場面で発揮するもので、
以前から日語の先生が要請してもらえ得なかったものです。 
これで今後の発行に後輩に弾みがつくことでしょう。


これをもっているもっていないは
「学院がどれだけこの人のことを信頼しているのか」
の証明であるわけですから、
役に立つ役に立たない以上の意味があるわけなのでしょうぞ。

それほどの価値を認めない人には不要でしょうが。  
それは、小生は大学卒時の大阪府立金剛コロニーは
500人の職員・愛知県庁は30000人の職員・職業訓練指導員も往時は200人。 
そんな組織の中で自分を安定させるには、日本特有の「所属同一意識」これは中国でも同様です。

劉先生ですら、発行に時間がかかりたしか、2月後半でした。  
いつもの人脈は特に貴国では大切な要件です。  
人間関係が不得意の人は貴国では生きていけません。  
日本でも上昇志向で自己の存在を安寧にしたい人には必須です。


ふーむなるほど。
そこまでは分からなかったぱんだで失礼いたしました。
民間企業のパワーバランスは多少なりに分かっているつもりでしたが
やはり公の世界は独特なものがありますね。
このあたりぱんだ分かりきれていない部分がありますわ。
ぜひまたご指導ください。

劉先生のお礼に朝一番に
渡仏中の周学院長に彼女の集中講義の通訳や日本人に対する協力の姿を報告しました。 
組織が大きくなるに従ってトップは情報がなくなります。 
しかし、決断の責任は取らなくてはいけないことが多いです。  
種々の情報を適切に判断する能力がないとトップに立てません。  
情報の分析をして、自分のエリアを強く固めます。


へぇ。トップに立つほど情報は入ってこなくなるものなのですか?
一応サッカーでは上に立ってやっていたこともあるけれども
ずいぶんと補佐してもらっていたし、
言うなれば「新党ぱんだ」の謎の闇組織
「ブラックぱんだ会」の主催者
くらいでしか、トップに立ったことがないからなぁ(笑)

上に入ってくる情報というのは実際とは違う
かなり操作された情報であることは想像されます
やはり本当の生の情報を得るには下に下に降りていく姿勢が求められるようです。

変なごますりは素っ飛んでしまいます。 
信用ある関係でしか効果はありません。  
今、日本では「人事評価」は「自己申告制」があります。  
小生もこの時期は頭を悩ませました。 
人を正しく評価するむつかしさを痛感しました。

2月に赴任時、劉先生の評価申告の時で申告の内容を相談も受けました。 
小生のこの行動は教務の主任が評価して、人事処長に報告していました。 
また、学生への好評な授業とのことも処長にその場で報告されました。  
感謝です。

人を育てて、人を評価していくことの難しさは、
その時、その立場になららないと絶対分かりません。  
かつて、上司が教えてくれました。  
一線を離れた県幹部に。 
自分の評価というものは100パーセントとすると
上に上がるにつれてシビアになり約70パーセント位となると。

人は自分に甘く他者には容赦なく厳しい評価が下ると。  
人を引き上げることはタイミング、条件が必要です。  
良き先輩・良き後輩・良き上司・良き先生は自分で選択します。  
人間は完璧な人はいません。  
少しミスをしたり、自分に甘い人は「人間味」があります。  
完璧に近い人ほど冷たさがあり「人情」がなく
自分ののみの成功で周りを幸福にしません。  
力が自分に集中してしまいます。


と先日ぱんださん
三宝の国際村にて食事会があったわけなのですが
食事も終わり迎えの車(大きめのバン)もきましたさて帰ろうと
みなさまは後ろに座ってもらって
まぁ僕は助手席に座ったつもりだったわけですが
ふとみますと目の前にハンドルがあるわけで(笑)

しかしN先生があんなに大笑いしてくれたことが
うれしくてたまりませぬ
狙った訳ではございませぬが
結果としてとてもいいことをしたなぁと
何に感謝したらいいのか分かりませんが
手を合わさずにはいられません。

前半をアップしました。
また明日後半おまちください。
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ブログ交換日記227(景徳鎮便り66) 09年5月5日?(水)メール

2009/05/07 23:10

昨日も三宝研修所にて2年生の手ろくろの担当。  
前日の初日に小生を紹介して下さった若い男性は実は先生と分かりました。 
たまたま、その先生のろくろをずっと見ていた人が
出産後で余り動けなく見ているだけと思っていました。 
何と、若い男性の先生の友達でした。  
事前の情報のミスでした。  
この先生は小生に遠慮しているのか、
教えることより自分で作ることが好きなのか。  
積極的に教えません。
学生に聞かれれば応える程度。 
自分で作っている場面が多いです。 
初日は二ヶ所を往復し、ましてや土練りからとは疲れてしまい、
ぱんだ君へ要請。 
また、日語の学生も応援あり。


はい要請されましたぱんだでございます。
2日目は手伝わせてもらってちょこちょこと手伝わせていただきました。

とこの男性の先生は僕なんぞよりもお若い先生ですし
あれこれの状況を考えますと
やっぱり教えるよりも創りたいのだろうなぁと理解はできます。

初日に陶芸の女学生で片言の日本語が話せる人がいました。 
昨日は日語生の女学生がいました。 
その学生の友人が日語話せる学生の友人。 
それで納得。 
二年生の日語生に情報を得ますと、
男学生の日語生ではあまりうまい人はいませんと。  
しかし、女学生なら二年生でも日語がうまい人はいますとのことでした。


やはり女性の方が語学にはどうやら頭の構造やらが
むいているようですわ。
男性のみなさまには残念なことですが
なにやら脳の構造が違うらしいですね。
(自らに言い訳)

非常に個人的なことを言いますと
そりゃ男性が「教えてくださーい」
とくるよりも女性が「教えてー」
と来てくれた方がそりゃうれしいですもの。

世の中は不公平に出来上がっています(笑)

以前の広州の会社でも男性の通訳さんが
いた事がありましたが、
やはりレベルは相当に落ちましたからね
とはいえこうした窯業系ですと
男性ですと現場やらにどんどんと連れて行きやすい面はあります

9月からの小生の通訳の学生の確保で情報が必須です。  
一応、身振り手振りで良いとは言っても程度が違ってきます。  
三宝研修所は実技のみですが、学内ですと様子が違います。

黒板があったり、DVDを見せたりと授業に変化がつけれます。 
今回も前回、同様に期間が短く3週間しかありませんので、
せいぜい時間外にDVDが一度見せれればよいかと。 
講師の人に相談します。

教務課らや講師本人から事前打ち合わせがなかったのでスタートを戸惑いました。

午後に帰寮するとぱんだ君から毛学生を通じて夜に学院幹部との歓迎宴があるとか。  
早速、通訳交替の陳学生に連絡。 
また、東京芸大院卒の劉先生にTELすると彼女は昨日、連絡あったとのことでした。

国際交流処で待合い、既に人が待機中、名刺交換すると韓国の陶芸の先生でした。 
後で分かったのですが、
以前、劉先生が紹介すると言っていた先生で学院で2・3年間教えていた先生。 
今、小生と同じ寮に住んで見えます。


と韓国顔のぱんださんは
「パンガッスムニダ、チョヌンパンダイムニダ」(はじめまして。私はぱんだです)
と挨拶させてもらいました
「ナヌン、ハングララムニダ?」(あなた、韓国人ですか?)
「チョヌン、イルポンサラムニダ」(いえ、日本人です)

草○くんの次の位置を狙うべくこのくらいは韓国アイドルとしては
マスターしております(笑)

客員研修生の立場で学院にお金を払って滞在しているらしいです。 
小生とこの先生と北京精華大の講師(史論系)の歓迎宴でした。  
学院の人事処長から小生の来訪はS学院長と事前に打ち合わせてあり、
もっと早く会いすべきでしたが、
遅くなって申し訳なかったとお詫びされて恐縮でした。

この宴席はこのO処長のご招待でした。 
事前に通訳がいるかと陳学生を頼んでいましたが、
場が違うと遠慮してもらい彼女には失礼しました。  
宴席後にTELで謝っておきました。 
そして、宴席の様子を伝えて納得してもらいました。


すいませんぱんだからも電話をしておくべきでしたが
またしても多少お酒を飲まされ頭痛ですぐに寝てしまいました(笑)

後は2人の副院長と
教務のC主任・国際交流処の欧○処長・韓国の通訳用の学生・劉先生(日本語通訳を兼ねて)・ぱんだ君。  
このメンバーは学院の首脳です。  
後2人の副院長がそろい、S学院長がいれば完璧です。

S学院長はフランスに出張中だそうです。 
宴席の酒は自重気味で飲んでいましたが、雰囲気はそんな感じではありませんが、
幸いにワインとビールで助かりました。 
招待を受けている人が飲めないことは中国では失礼となります。  
全く飲めないぱんだ君は今後こうした場合にどう対応するか想像すると大変です。


これ死活問題なのでなんとかしなくてはいけません。
こういう時に酒でもがんがん飲んで
「日本人もなかなかやるアルネ」
くらいの存在感を示したいところですが(笑)

ナンバー2のS副院長は今日は体調がすぐれないのであまり飲めませんと、
しかし、つきあって飲んでいました。  
小生と同じくらいは立場上飲んでいました。

接待上手の人事処長や欧○国際交流処長はみんなを飲ませて、
話題を移動する配慮は流石でした。  
言葉が通じないと会話に入れず、ましてや酒が飲めないとこんな時は孤立します。

孤立していい場合とできない場合がありますので
中国社会では酒は欠かせない潤滑油となっています。 
まあ、日本でも同様の場面がありますが。 
まだまだ、飲めない人への理解は日本は進んではいますが、中国では大変でしょう。


「いやー20先生を車で送らないといけないので
今日は遠慮します」
だなんていう言い訳は日本ならば通用するでしょうが
なかなかどうしてきっちりみなさま送り届けてくださいます(笑)

その点、女性は寛大です。 
韓国の学生や陳主任は男性より飲まなくても存在のみで許されます。 
男性の飲めなくて接待側となる場合は、これは大変だなあーと。 
中国社会で歓迎・答礼の宴席は貴重なコミニュケーションの場である限り。

自室に戻りゆっくりと寝る前にビール一缶。  
緊張していたせいですか、強く酔っていません。 
ぱんだ君の案件が大事と分かっていましたので、
人事処長の行動に注目していたせいもあったり、
日頃世話になり、
今後も世話になる欧○先生の行動にも注視していたせいで酔いは少なく済みました。


食事も非常においしくいただきましたが
これ学食でトータル100円くらいの
食事をしていたほうが精神的にはよっぽど楽ですわ(笑)

今後の自分の立場を構築するには学院の幹部との出会いは大切な行事です。  
懸案の小生の「身分証明書」の作成について、
劉先生を通じて○人事処長に聞くと、
「問題ありません、写真3×4センチの写真」出して下さい、作ります。  
との回答。   

この「身分証明書」の所持は今後いかなる場合にも大きな効果があると思っています。  
中国社会での外国人にとっては大切な「通行手形」です。   
以前、日語のY先生がどれだけ頼んでも作ってもらえなかったものです。  
この代わりにと小生が図書カードが使えないかと思い作りましたが、転用できず。  
図書カードは本来用として使用します。 


基本的には学院内で無事に平穏に過ごしている分には
「身分証明書」
のお世話にはならないでしょうが
いざということもありますから持っているに越したことはないでしょうぞ。

「身分証明書」は大切な証しです。  
いざの時は活用大です。  
劉先生ですら2月にやっと人事処で作ってもらえた位です。  
小生の作成が確実となれば
ぱんだ君や今後の日本人に役立つ前進になるかもしれません。

宴席前に小生の仕事ぶりを教務のC主任が○人事処長や欧先生に説明していただき、
小生への応援を貰いました。   
こうして、小生の学院での実績がS学院長にも伝わっていくのでしょう。


実際の陶芸を教えるということももちろんですが
その他きっちりごみは拾います
だとか
菊練り台に乾いた粘土の粉粉がないだとか
まずは粘土に向かう前の姿勢をきっちり見てくださっていることは
ありがたい限りですね。

いまではぽつぽつと自主的にごみを拾う学生さんも
いらっしゃって20先生の努力が実り始めているところであります

とぱんださんのアトリエ及び部屋は現在ぐちゃぐちゃになっておりますが(笑)

広州のぱんだ君の元同僚Uさんから、メール。  
先日の広州交易会で
景徳鎮ブースで知った●○先生は小生を知っているとか、小生は知らず、
その先生は今学院で4年生を教えているとか。

また、どこかでお会いする●○先生(難しい漢字で読めず)のお名前。  
こうして、色々と目まぐるしい日々です。  
日語の先生はこんなことはあまりなく淡々と学生に教えておられることでしょう。 
ある面羨ましくも感じる時があります。

何といっても日本人初めての常駐教員です。  
バイオ二ヤとして、後輩につなげる活動をいたします。 
次の人が更に結果が出しやすくする為に小さな積み重ねをしていきます。

  
とゆくゆくはまたUさんが出会ったお方とも
出会うときがくるでしょうが
なかなかどうして手元のことやらで手一杯な
現実がありますわね。
がんばりましょう。

人気ブログランキング上昇のために
広州のUさーん、
N華のパソコン3台と、N盛のパソコン1台から
毎日新党ぱんだ人気ブログにアクセスしてやってください(笑)
毎日40P稼げる計算になります(苦笑)
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ブログ交換日記226(景徳鎮便り65) 09年5月3日?(日)メール

2009/05/07 22:56

2・3 日に江西省県庁所在地・南昌に行ってきました。 
日本と違い高速バス移動3時間30分位の旅。 
トイレ付のノンストップバスは快適でした。  
兎に角、相変わらずのクラックションの連続です。


一番前の席に座っておりますと
どんどんと前の車を対向車線にはみ出して
抜かしていく様子が見えるわけなのですが
もうあーもうぶつかるー
と何度おもったことでしょうか(笑)
とこうしてブログを更新している訳ですから
どうやら無事だったようです。

前夜は遠足前の小学生の気分でした。 
昨年10月の陶磁学院の契約後、知人の王芸女史と一緒に乗ったバスです。 
南昌は丁度ゴールデンウィークの休日で町は景徳鎮よりの人の出の多いこと。

スタートが雨天でしたが、
翌日は打って変わって夏日の暑さでTシャツ一枚で充分でした。 
昨年と同じビジネスホテルを予約してもらっていました。 
低額で綺麗なホテルです。


中国を旅行なりしておりまして
一番高くつくのがどうしてもホテル代です
以前は外国人が泊まれるホテルというのが
お高いホテルに限定されておりまして
どうしても出費が高くついたものですが
今では100元台(1500円台)200元台(3000円台)
のビジネスホテルも大都市では多々ありますので
ありがたい限りです。

食事もホテルの2階のレストランで
10月の時と同じテーブルで美味しく頂きました。 
翌日、江西省海外旅行社の宋小凡副経理と会社で会って、
5月末の日本からの「二十歩先生を励ます旅」の景徳鎮での旅程について、
10月の学生修学旅行・宋さんの
今までの中国各地の古陶磁のコレクションの一部の鑑賞や話。


「ぱんださんは中国の陶磁器は
どの窯が好きですか?」
「えー・・・(非常に返答に困る)
龍泉窯の青磁がすきですかね」
と出てくるわ出てくるわの
龍泉窯の磁器の破片。

彼が古陶磁の話になると止まりません。 
長く日本の中国陶磁器研究者を
中国各地の窯場に案内し直接見聞し、指導を受けた人です。  
日本の小生の恩師「藤岡了一先生」や
東京国立博物館の長谷部先生
オリエント陶芸の権威者三上先生
大阪東洋陶磁美術館の弓場・出川先生などの発掘にも立ち会っていますし、
中国各地の窯場の学芸員・学者との交流はすごいものがあります。


一旅行会社のお方というよりは
知識レベルは学者並みでしたね。
ぱんだなんぞまったく歯がたたず
しかし地図を見ながら陶片を見比べながら龍泉窯の変遷を教えていただき
学科の時間では分からない龍泉窯の生きた知識を
教えてもらったようであります。

かつて、後輩として、同様の社員の養成を試みましたが駄目でした。 
彼は上海外大卒のエリートです。 
父親は大学の教員だったとか・暗い時代に高校生を過ごし、
農村での学習も経ています。

旅行社に入る前に奈良教員大に留学し、
恩師「藤岡了一先生」に何かで出会い
指導や生活の補助があったと聞いています。 
先生の奥様と大阪のお宅で電話で宋さんの話はよく聞きました。

本来なら学者の道が賢明だったと思う人物です。 
旅行者の添乗員としては本来向いていないと思います。 
しかし、ここは日本ではなく中国です。  
職業の選択にも色々な事情があります。


僕は宋さんとは初対面でしたので
深くそのあたりの話まではうかがい知ることはできませんでしたが
今こうして目の前に宋さんがいるということにも
相当の人間ドラマがあることだけは
対峙しているだけで伝わってくるものがあります。

入社直後の若い頃、
遣唐使の歩いた道を徒歩で踏破する旅行の話など
興味深く聞いた記憶があります。  
彼との出会いはもう20年くらいとなりますか。  
小生の中国陶磁の旅の案内役として出会い。


遣唐使の歩いた道の踏破!
これは面白そうですわね。
僕も空海が馬車に揺られながら
行った道を感じてみたいものです。

藤岡先生との共通の繋がりなど不思議な御縁です。  
人は導かれていく人知で知る由のない世界があります。  
また、出会いを大切にしてほしいものです。 
自分の「財産」として活用するか否は全て自分の側に存在します。

ぱんだ君に機会を創りました。  
後は自分でどう展開して、作陶の原点の自信につなげるかでしょう。  
どんな作風であれ陶芸は根拠がしっかりしていないと説得性が薄くなります。 
創っていく元がしっかり理論構築するには何をもってするかによって幅が違います。

陶芸の技術や技法は創っていれば時間が解決します。 
しかし、創作陶芸の根本を
何を据えていくのは自分が決定して、意識して、研鑽の努力がないといけません。 
他者が決めてくれるものでもなく、
自己決定の上に構築されていくものです。  
これは、時間とお金がかかります。  
しかし、作品の説得力はこれがないと技術偏重の自己満足の塊となり、
周囲は厭味になり人は作品や創り手から離れます。

創るバックボーンは何があるのか、
これがないと浅薄な技巧主義で「芸」として評価されません。  
どんな作風であれ!


こればかりは一長一短には
身に付くものではなく
身に付くというよりももっと自分自身がどうあるべきか?
という根底の問題になってくるのでしょう。

表面だけの作品はどうしても分かってしまうもの

ここからは後は自分自身の問題なのでしょうが
河井さんの創り手としての姿勢がとても僕は好きです

河井さんの娘さんが
「物を選ぶときの基準はどうすればいいの?」
という質問に対して
「とてもいい質問なので時間をくれ」
と答え
後々
「誠実・簡素・健全・自由」
をあげられたお方。

自由をただ表面だけのものとするのではなく
もっと大きなものに立っているものを創りたいなと。

後は作品を見ていただきたいと
そう思っておりますが
今日の窯焼成は失敗いたしました(笑)

人には色々な出会いのチャンスがあると、常々小生は言っています。 
生かすも殺すも自分のその出会いの後についてきます。  
意図的に出会いを先輩は後輩に機会を与えているのに
それを感じて行動できない人はそれだけの器です。  
始めはとてもと抵抗を感じて距離を取って逃げたくなります。  
しかし、そこからが勝負です。

小生も多くの先生・先輩に導かれて生きてきましたし、
今もその機会を意識して大切に誤解や認識の違いで悩んでいますが、
この宋さんとの出会いも天に導かれて進行しています。 
今後10年後の姿に思いを馳せています。

この2日間の行動は日本では味得ない貴重な時間です。  
陶芸作家でない人ですが、研究者でない人ですが、
知識や人の出会いで
自信を持って生きている人の姿を学んでいただければ幸いです。


と宋さんの話はメモを取りながら聞かせていただきましたが
陶芸作家や研究者でない人がこうして生きている姿というところまで
理解はしておりませんでした。
失礼いたしました。
中国に来まして3年目に入っておりますが
中国陶磁器史をがっちりと勉強したかと聞かれれば
沈黙せざるを得ない私で失礼しております。

さしあたり図書館のカードを作りまして
読み倒したいと思っております。

Nっちさんの「陶芸のひとりごと」
は永遠に抜けない模様(笑)
こつりこつり更新していきますので
新党ぱんだ見捨てないでください(笑)
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またコテン(景徳鎮8)

2009/05/06 23:33
画像


とアトリエにてさやを利用しての練炭窯を創りましたぱんださん
粘土に興味ありのMさんを誘いまして
いそいそと茶碗やら謎の物体やらを
掘ってきた粘土さんで創りまして
焼きあがりまして窯から出せたのがMさんが景徳鎮を離れる
30分前(笑)
とまだ熱いお茶碗をMさんに手渡すべく待機していたわけですが
せっかくなので包み紙をとりまして即興個展をしておりました。

相変わらずのテキトーさ、だというのに
通りかかる人が
「これ売っているの?」
と声をかけていくあたりがさすが陶器の都(笑)

ぱんださんが授業をお手伝いしているクラスの女の子も
通りかかって見てくれたものの

基本磁器土、白い焼き物になれているみなさんからすれば
陶器だし、練炭で焼いているし、しかもまだやや温かいし(笑)

眺めて何か言葉を捜している様子でしたが一言
「Interesting」
と笑顔に残る苦りきった口調が今でも耳に残っています(笑)

なんて便利な言葉なのでしょう(笑)

(が、ぱんださんのころころしたオブジェを手にしたときには
「Interesting」の「I」すら発してくれませんでしたが)


この隙間を埋める近況日記に
3年間、4年間と新党ぱんだにお付き合いしてくれている
メンバーは「新党ぱんだ」らしさを感じるとのことです(笑)
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ブログ交換日記225(景徳鎮便り64) 09年5月1日(金)メール

2009/05/06 00:54

5月1日 ここ中国はメーデーで休日。  
日本ほどの連休ではありません。 
しかし、学生のお風呂は4日(月)まで休みと張り紙がしてありました。

学内の学生数も少ない感じです。 
2・3日の南昌行きの切符が連休で取れないではと。  
ぱんだ君から連絡あり。 
そうそう、迂闊にも連休でしたし、事前に予約がいるとか。


ぱんだもふと気が付いたのが直前になってしまい
ここは中国在住2年の僕が
前もって気が付くところだったのになと
大いに反省しました。

またまた、毛学生に電話で予約してもらいました。 
帰りはこちらでは予約できないと。 
遠方に出かけることに中国の切符購入システムの煩雑さを痛感しました。

校まで切符が届けられるとのこと、
4時乃至5時との連絡ありましたが、
急に午前中に業者が持ってきて対応できず。 
結局、5時頃、校の正門で受け取りました。  
245元「片道3人分」の支払い。


ぱんだは外のアトリエで作業しておりましたので
午前の電話では自転車で途中まで帰りかけ、
午後も作業を途中でストップして
学院まで戻りとてんてこ舞い。
前もって対応しっかりしておけば
よかったなと。

この事で、参考にしなくてはいけないこととして。 
@ 連休に遠方に出かけない「特に切符が必要な時」 
A 事前にバス・電車・飛行機の切符は学生乃至旅行社に依頼しておく 
B 切符は可能であれば信頼置ける学生・知人に依頼して受取り、納金に振り回されない  
C 日本帰国時には交流処を通じて手配してもらう。
「かなり早めに」・信頼のおける学生に頼む・確認「日時・金額」


なるほど。
ぱんだはこの文章をプリントアウトして
壁に貼っておかなくてはなりませんね。

「緊急時の日本帰国」がさらに含まれますが
これはさらにやっかいですわね。

今後の参考として、
中国は切符を買うにも日本と違ってすぐに買えないことは
外国人にとって致命傷ですが。 
直接、交通切符売場に自分で行って
予約の切符を買うことをしなくてはいけないことを覚えました。

飛行機の切符も自分で行って市内の旅行社に頼むことも今後必要かと。 
大きな経験でした。 
南昌の帰りは旅行社の呉さんに買って貰い、日曜日に会う宋経理から受け取ります。

また、土曜日のビジネスホテルの予約も宋経理の名前で取ってもらいました。 
こうして、すべて自分でやらなくてはいけない旅行の大変さを味合いました。  
パックツアーの楽ちんさはここにあります。


と中国社会では謎の「人脈」が
相当にものをいいます。
謎の外国人がぽーんと頼もうと思っても
うまくいかなかったにも関わらず
例えば宋さん経由でお願いすれば
次の日には出来上がっているということが
よくあります。

こんな不自由も月曜日の担当がなければ、制約されなかったのですが。 
特に月曜日は作業の交替日につき冷や冷やの切符取り合戦。 
また、毛学生に今後、絶対に負担をかけない生活や仕事をしなくてはと反省。  
どうしても場合は お願いするしかありませんが。       
9月からは4年生で就職活動で学院にいないことを考えての対策もいりますので。

9月からは学生の付き合い方、協力をしていただく形を考慮しないとお互いが疲れます。 
小生も無理をして合わせていかなくては困ることも多かったことは事実でした。 
しかし、無理はいけませんでした。  
互いの考えはもともと異なることや
ボランテァの協力は問題が多いことも学びました。 
本来、中国は一応契約社会です。

少し、日本人としては冷たいですが、
学生には小生の生活・授業の協力は
「アルバイト」としての形も考えないといけないと猛省しましました。  
日語の先生とは立場が違います。


と南昌から帰ってくる時に
何かおみやげをお世話になっている日本語学科の生徒さんに買おうと
女子大生には何がいいのだろうかと相談したのですが

「中国では相手に合わせる必要はないのですよ
『私はこれが好きなのです』
と自分がいいと思っているものをあげればそれでいいのです。
それが受け入れられないのであれば
その人とは合わない
ということですから、そこからは付き合い方を
変えていけばいいだけの話じゃないですか」

と。
ああなんと中国的発想。
日本人離れしているといわれているぱんだであっても
なかなか理解しがたいところがありますが
頭の中では理解できます。

陶芸専攻で日語が話せる人。  
日語学生で院生で陶芸が分かる人。
「先日、日語生で日本の陶芸史に興味ある学生・院に進みたいと相談に来ました」。 
その他の学生をどう接するか。 
考えます。

生活面だけの協力を仰ぐことにする事も考えます。  
陶芸授業はで会話がなくても小生は所詮「客員」です。  
あまり、学生への指導効果を考えても、
学院や学生にそんなに期待されてはいけないこともあります。  
やり過ぎは禁物です。  
日本流の陶芸に染めてはいけないことも反省です。  
日本ではこうします程度に留めましょう。  
始めとしては飛ばしすぎたかな。と思います。


学院側は
「わが学校の生徒に日本流を教えて欲しい」
と言っているわけではなく
あくまで
「日本流というのはこういう感じなんだよ
参考にしてね」
くらいの意味合いでしょうから
20先生としては物足りないところもあるでしょうが
前に出すぎればやはり学院の面子をつぶすところもありますし
日本式を教えつつ、さらに興味を持ってくれた学生さんには
さらに教えていくというスタイルが求められるのでしょうか。

それは、学院の陶芸専攻の学生の完成像が明確でないのか、
小生が掴んでいないのか。  
指導面と作品創りをして、
その作品を見せることの指導が今は欠落していけないことも反省をしています。 
指導責任は小生に非ず。


そうですね。
美濃陶芸協会展の図録なんぞを見せますと
特に院生なんぞは食いつくようにみておりますからね
図録に限らず実際のものを見せて
「まー日本だったらこのくらいの値段で売れるかなー」
だなんてはっぱをかければ
学生さんの意気込みやらも変わってくるのかも
知れません。

日語教師とは違います。 
日本の芸大・美大教員のように
社会的に作品を創って学生に還元すればよいと結論が見えてきました。 
焦らずが小生の視点を狂わせたのか。 
いやいや、何といっても初めての経験です。  
少しずつしか、進めません。 
外国です。  
中国です。

こんな感じで国際交流の軸も考えないと空振りとなります。       
「日本人陶芸教師が存在することに意義がある」  
ここの原点で活動を進めなくては存在価値がありません。 
その他の事は時間が解決することでしょう。  


とはいえこちらでは
20先生がこれまで使っていたような
釉薬の類やらなんやらはありませんし
スタート地点に立つのはなかなかどうしてパワーのいること

あせらずに徐々にいきましょう。

ぱんだの場合は
MさんIさんの協力が相当大きく
スタートするためにずいぶんと背中を押してもらい
感謝の限りでありました。
帰国前のお急がしいお二人の貴重な時間を
ずいぶんとうばってしまい失礼しました。

Nっちさんの「陶芸のひとりごと」の
トップ10入りが素直にうらやましい新党ぱんだも
たまに応援してあげてください(笑)
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集中講義内容(二十歩先生 新校舎篇)

2009/05/05 01:51

(ぱんださんがあまりに人の名前を漢字で書くことが
できませんため、
もちろん調べれば分かるのですが、
はやいところアップしようと思っておりまして
失礼ながらひらがなそのままの箇所がたぶんにあります
ご了承ください)

二十歩の名前の由来から始まりました集中講義
オリンピック会場の鳥の巣との大きさのちょっと小さいくらいの
土地を先祖が持っていたのです

20先生2月に来てから
周委員長とは10年来の知り合いで
欧さんにぜひ来年からこの学校で教えてくれないかと
言っていただき
学院で教えることで日中の関係を
その夢を多くの人に支えられてきました
若い皆様には夢を持ち続けて欲しいなと

年数回に渡ってこのような集中講義をしようと思います。
わたしが感じたことで
日本の陶芸作家すべてがそう感じているわけではないことを
最初にご了承ください。

今日の通訳は日本で最高の芸術大学の
東京芸術大学の院に行かれていた
劉先生です。

現代人は感覚が残念ながら鈍ってきております。
人間には五感、そして第六感というものがあります。

視覚、聴覚・・・触ること

毛学生の通訳でゲームをしてみようと思います。
この感覚が豊かな人ほど幸せに暮らせますし
陶芸をするには非常に大切です

(と30cmをぱっと手で指し示してくださいと
後は画像の通りです)

よいものに触れてよい人と出会い
よい人生としていきましょう。

日本の陶芸作家の論を話そうと思います。
はじめに陶芸作家の歴史的存在について。

陶芸作家としてのイメージは
今は比較的簡単にイメージできますが
その創造期には分業体制でしたので
そのコーディネーター的な人間でした

例えば1575年桃山時代
古田織部その先生である千利休

茶道具を岐阜の元屋敷周辺に指示をしました。

従来の唐様式日本独特の様式を
左右対称を美としない一つの様式を作り上げました。

古田織部自身が創るにはいたりませんでした。
江戸時代1600年はどういう状況だったのでしょうか。

@
伊万里佐賀県あたりは日本の磁器が作られ始めました。
豊●●吉の朝鮮人職人が連れてこられて磁器の製法に成功しました
有田泉山にて陶石が発見されました
李三平によるものです。
職人による分業の開始です
その李朝系はもともとは景徳鎮にて製作されておりました
古染付けにきっぽう、吹き墨などなど
まだまだ個人作家はいませんでした。

あくまで分業体制下での作業でした。

A久谷石川県1640年代伊万里から受けて
色絵付けが出来るようになっていました。

この久谷も江戸時代は分業体制でありました

B京都 清水焼は低下度の焼き物が主でした
やがて本格的な登り窯も築かれました。

ここで17世紀の中ごろに野々村仁清なる人があらわれ、
金森そうわ(?)という個人作家として成長していきました。

ここに日本の陶芸作家の芽生えが見えます
その弟子尾形乾山が「陶工必要」という本を出版しております。

その後おくだえいせい

その門下のあおきもくべい
にんなみどうべいなどが清水焼を作っていきます。

C尾張瀬戸 1625年
あわたぐち焼きでは
りへい(?)などにより
中国磁器の写しが作られました。

わたしが陶芸を教えていた瀬戸
有田から伝わり各地で磁器が作られ始めました。
瀬戸は岐阜県美濃に中心が移っておりましたが
有田で磁器を学んだ加藤民吉により磁器の開始

これを瀬戸新生とよびます。
この地も分業でありました

さて江戸時代から明治時代になり
明治政府は富国強兵を進めました

産業育成を進め窯業を進めました。
明治の窯業に貢献したのが
ゴット・(?)・ワグネルであります。
酸化コバルト、石炭窯の作り方やらの陶芸技術を
彼から教えてもらいました。

産業としての急速に発展して
輸出に傾き
装飾的技巧的に陥ったものが多いのです。

大正昭和にはいり3つの大きな流れとなっていきます。
@古い陶磁器研究により本来の陶器を作っていく学術派
Aヨーロッパのアールヌーボーなど板谷波山的陶芸作家の出現
B陶芸をはじめ工芸全般による民芸運動

その民芸とは民衆の日常的なものこそ健康的なものであると

@民芸派 河井さん、浜田さんは各地の窯を回り
盛んにしました
思想として個人的美意識を表現するのではなく
謙虚に自然に身を任すこととする。

民芸作家の条件
@てしごと
A実用的
B無名
C地域生産のものをつかうということ

Aカンテンハ
思想としては陶芸によける
装飾を研究し、美を探究する
板谷波残、くすべやいち、加藤土師萌
日展作家としてはたくさんの作家がいます

新工芸などがあります。
例えば個人作家として
富本健吉人間国宝の人
カンテンハから在野の○○会(聞き取れず)を作っていきます。

富本健吉先生は
20先生の先生の先生であります

B古典派
伝統技法を駆使して作品を創る
伝統工芸作家

加藤唐九郎 
三和休和

現在日本陶芸界というところで
作品が発表されつづけております

C中国陶磁派は
石黒むねまろがいます
数奇な器の創作者として北王子魯山人

江戸時代、
創作理念を主にしたのは昭和初期

用+美が
近代的陶芸作家のスタイルとなっていきました。

次のタイトルは
陶磁器産業との関係性です

粘土を作る成型方、
企業と形態は違いますが
釉薬用途など陶芸作家の影響は強いものがあります。

陶磁器産業として発達していくには
技術交流が重要です。

確かに陶芸産地には原料やらを研究する試験場がありますが
現在はそのような機関の力は少ない
日本では個人の作家の活躍により産業に力を与えることが大きいです。

今後もその方向性には変わりないと思われます。

日本の陶磁器産業はオールドセラミックスは衰退の方向にあります。
大量生産をするスタイルは日本ではのぞめません。

その食器部門の発達は少ないと思われます。
ファインセラミックスは先端陶磁器は多くの発展があるでしょう。

作家と先端陶磁器は関係性は薄いですが
共存する可能性はあります。

陶磁器産業の食器部門は作家との関係性は重要でしょう

陶芸作家が多く排出されての
産業に与える影響が必要です。

陶芸作家が陶産地で活躍することで地場産業に
与える影響が強いのです

3 陶芸作家の作品発表について
日本の陶芸作家は存在する
公募展形式は中国と同様です。

中国と同様で陶芸の出品は重要です。
団体の展覧会、伝統
朝日クラフト展、
デパートやらで開催されております。

美濃陶芸
地域でも発表している人がおり
瀬戸陶芸展などなど
陶芸作家の団体組織があります。

また新聞社企画朝日陶芸展
日本陶芸展などなど
入選率は4倍から5倍

こういう展覧会に
中国の人でも出品することは可能です。

いずしましこ陶芸展
国際陶磁器フェスティバル
大阪工芸展
などなど

陶芸作家の登竜門となっております。
最高賞は100万200万

国際フェスティバルは200万円でして
入選率は8倍
車が買えます。
ちなみに国際フェスティバルの最高賞は
台湾の作家さんが取りました。

陶磁器学院の卒業生で200万をぜひとってください
(大きな拍手)

個人で発表する個人展があります。
毎日のように発表されて販売されております。

中国とおなじく食器は売れませんので
食器をうるために日本料理屋さんとのコラボレーションをしております。

日本では新しい展覧会が発表されているのが現状です。

みなさまお疲れのようですが
最後のタイトルに行きますが

●陶芸作家の文化的役割と精神性について。
日本の陶芸作家の役割は
芸術創造者ではありません。

日本古来の材料を大切に有効に活用いたします。
再利用えこ環境粘土が実施されております。

日本の陶芸作家は展望は高く位置づけられております。

単なる陶芸しか知らない次元を超えて
華道茶道、食等総合芸術となっております

作家個人の文化度は
一般の人よりも高い位置でなければ
陶芸以外の知識勉強が活発であります。
専門の技術がもとより
他の文化への知識がなければ一流とはいえません。

創作の意図をもって
はじめのイメージに近づけるようにする。

原料素材を理解して、釉薬、焼成、販売方法
それ以上に創造する価値観、目的を
文化的意識として捉えていかなくてはなりません。

わたしの先生の先生
富本健吉先生の教えは
文様から文様を作らず
従来は文様をそのまま模倣してきました。

その先生の教えはあくまで自然のものをスケッチし
文様としていくのが陶芸作家であると

カタチは新鮮なカタチである評価であると
自分でも実践されてきました。

陶芸の根本であるそこを重点としなくてはなりません

富本健吉さんからの時代は創作性を大切にする
作家が全国から出現いたしました。

これが日本の陶芸の出発です。

大正昭和初期にいたる
陶芸作家の登場です。

技術向上に応じて
模倣は必要でありますが
その精神性は学びますが
あくまで自己表現、自分の人格の表現であります。

創造創作でないと作家とはいえません。

つねに新しい作品を生み出すには
相当に技術の勉強やらが必要です。

形、装飾性、釉薬の発見
方法焼成方法全工程に渡った製作が必要になります。

常に工程段階に新しさを
努力していないと
作家としての作家性はないといえます。

工芸技法の知識
精神性に大きく貢献する

今から話すことが趣旨です

陶芸を志すものは平和主義者でなければなりません。
平和のなかに豊かな精神がやどり
周囲のひとたちにも美が入ることが必然となります。

以上長い話を聞いてもらって
ありがとうございました。

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ブログ交換日記224(景徳鎮便り63) 09年4月28日(火?)

2009/05/05 01:42
土曜日は韓国料理に行って「焼き肉」の予定でした。  
急に直前、黄先生から彼女を通じて大至急仕事場に来てほしいとの連絡入りました。 
詳しいことは分からず。 
分かったことは「景徳鎮市●安局長との会食」。


伏字であることはご了承ください。
内容読んでいけば伏字で仕方がないと納得してくださるはずです。
とぱんださん●安と聞きびびり
逃げ出そうとしましたが
どう言い分けしても逃げ切れないと思われましたので
仕方がないと腹をくくりまして
ぱんだMさんと買い物に出ておりましたが
緊急で黄先生のところへ戻りました。

場所やメンバーも不明で
ぱんだ君と毛学生と先日小生が行ってきた「三宝国際陶芸村」が宴会場でした。 
送迎は肩書き「●視」の部下。 
まずは●視。 
本命の●長・婦人・●●官の女性などなど。


普通の服装でしたので分かりませんでしたが
肩書き聞いてびっくりであります。
ぱんださんもふらふら危険なところに
足を踏み入れますと肘を首筋どころか
テツ●ウシにいれられてしまいまふ。
仲良くしておかなくてはいけませぬ。

夫人の日本語会話の単語で食事です。  
確かにIさんから聞いていたとおりの外人向けの味付けでした。 
しかし、お酒が香りの良い例の
「日中国交回復で田●●栄がひっくり返ってしまったきつい酒」
「マオ台酒」でした。 
黄先生も遠慮がちでこちらは余り進んでいなくて、ついつい私がと。  
これが、完全にノックアウト! 
きつい酒と聞いてはいましたが。 
反省です。


ぱんださんは注射のアルコール消毒液でさえ
体が拒否反応を示すほどなので
なんとか逃れたいところでしたが
隣に座ったおにいさんがこれまた酒豪なお方で
逃げ切れずに梅酒らしきものを
ずいぶんと飲まされました

当時の周恩来は時々しっかりはきだしていた酒です。 
小生も田●●栄、同様その晩に部屋に戻るや全部吐きました。 
汚い話で失礼ですが。 
2日間水のみで立ち上がれず。 
同じペースで呑まれた●視は相当のつわものです。


同じペースで呑まれた●視さんが僕の隣に座っていたお方
がたいも良いしどんな肝臓をしているのでしょう。
ぱんださんも死にかけましたが
梅酒2杯ほどでしたしぱんださんも同様に全部吐きましたので
「ああ俺はこのまま目が覚めないのではないか・・」
と思いましたが
次の日は起きることが出来たことは幸いでしたが。

黄先生から見舞いに何度も部屋に来て貰い、
周囲の人にご迷惑を掛けてしまいました。 
黄先生が言っていました。
「手振り・身振りで」嘔吐が平行に飛びますと。  
まさにそうでした。 
頭がガンガンに痛くとても立ち上がれません。  
この「公●●長」はビザ申請に権限を持った人です。  
学生の修学旅行がスムースにとの黄先生のご配慮です。  


黄先生も飲め飲めとさんざんに言って置きながら
月曜日に20先生がまだ起き上がれない
ご飯も食べられなかった模様と話をしたところ
急に顔色が変わりましたからね
20先生も、黄先生もみなみな含めて多いに反省していただきたいものです。

しかしいつもはきちんとされている
20先生の前髪がべろべろでぐだぐだの時には
乱れっぱなしでしたので
部屋にお水やらを差し入れた時には見るにも見られないところがありましたわ(笑)

MさんIさんと話をしていたのですが
2日経っても20先生が相変わらず立てない時にはさすがに焦りまして
景徳鎮第一病院に
Mさんが左、ぱんださんが右で
両脇をかかえて
Iさんには寮の前までタクシー呼んでもらって
直行しようという計画すら裏で相談されておりました。

月曜日は欠勤でぱんだ君に代理出勤してもらい寝ていました。 
固形物が受け付けず、おかげでジーパンが緩くなりました。  
火曜日は無理して、今の班は削りに入り木曜日で終わりです。


月曜日はぱんださん一人てこてこと
三宝に向かい
「あれ今日は20先生は来ないの?」
と言われ続け、技術の無さをごまかしまして
なんとかしのぎきりました、たぶん。

次の4・5班は女性の講師だそうです。 
場所は同じ三宝研修所。  
どんな講師の方か。  
出産直後の先生とか。  
無理は利かないでしょう。  
授業は初めて、午後からです。


と中国のお方はあれこれと
面子
がありますので、あんまりにも日本人である
我々が
(技術のあまりないぱんださんはまだしも
20先生がどーんと)前に出すぎますと
面子をつぶす可能性がありますので
ぱんださんはしばらくアトリエにて
自分の作品創りをしまして
もしこの女性の先生がそうこだわるタイプのお方で
なければぽんぽんと参加しようと思っております。

休息が終わっての2時半から4時半迄だそうです。  
夏の日差しがきつい時間に健康を考えて自転車を続けましょう。 
バス移動は疲れた時だけと。 
今回も3週間の短い単元です。 
5月22日までとなります。

その次は校内で「実験陶芸創作」3年生です。  
授業の形などさっぱり不明です。  
小生は何を教えるのか。 
これも、新しい講師の人です。 
一サイクル送らないと対応のしようがありません。


と今日は月曜日
どんな授業の様子だったか
あれこれと後で教えていただきたいものであります
ろくろならばある程度は対応できますが。

9月の新学期には
自分の創作が開始できる気持ちと、授業の割り切りが必要です。  
現在の日語学科や陶芸の学生は4年生になると
「就職活動」一本で大学はほぼ出てこないと聞きます。

学生を送り出すマシーンのように教員は過ごすのでしょうが、
小生は創作も一つの目標です。 
どんなものをどんな形で中国で発信するのか。 
大変楽しみです。  
限られた空間と制限のある素材や設備で。


とぱんださんは相変わらず陶磁学院のあちらこちらの地層を調べては
掘っているわけで(笑)
広州で掘っていたラスターが出る粘土に近い層を発見しまして
これならばこれまでの蓄積が生かせるなと。

粘土に興味のありそうな大いに見込みのあるMさんを
なんとかこちら側の人間に引っ張ろうと現在画策中でありまして

「溶かす成分(NaやらCa)」と「Al2O3」と「SiO2」が粘土の主成分でありまして・・・
などと
「ぱんだ粘土研究所」
は着々と足場を固めつつ株価上昇を狙っております(笑)

と更新ままならず失礼いたしました。
まずなによりも元ネタを送ってくださるお方がぶっ倒れておりましたものですから(笑)

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大切なものを教えてくれた人へ

2009/05/04 20:41

テレビでなんとなく聞いたことのある
「雨上がりの夜空に」
「トランジスタ・ラジオ」
あーこれがロックってやつなんだな
もっと聞きたいなと思っておりましたが
当時ぱんだ家近くにはレンタルCD屋なる
おされなものもなく、
ぱんだ自身もまだまだ幼くて
もう一歩踏み込むことができませんで
出会いが遅れたことを後悔しています。

そうです「HEY×3」でした
ダウンタウンの二人とのかみ合わない会話(笑)

「どうして唇の下の髭だけを伸ばしているのですか?」
の質問に
「いや、彫りが深く見えるかなと思って」
の回答やら

デビュー20周年(30周年?)記念のイベントだったでしょうか
お知り合い、きよしろうさんを尊敬するミュージシャンのみなさんが
あなたの曲を自分たちにアレンジしながら歌っていましたね

主役だというのにコンサート終盤に舞台にやっとあがったあなた
どういう訳かほら貝を吹きながら現れた姿に
大いにあきれ、大いに勇気付けられました(笑)

「HEY×3」をビデオに録画しまして
何度も何度も貴方が歌う
「雨上がりの夜空に」
「トランジスタ・ラジオ」
を聴きました

ギターを覚えてからは
「雨上がりの夜空に」
のオープニングはずいぶんと練習しましたし

カラオケに行っては
下を向き加減で声をつぶすような感じで歌うと
貴方の声にやや似ていることを発見してからは
ずいぶんと歌いこみ、好評をいただきお世話になりました

復帰後再発したというニュースをみまして
正直もう戻ってこれないのではないかと
僕のなかで覚悟を決めたところはあったのですが
なくなられたというニュースを見まして
しばらくいすから立ち上がることが出来なかったのも事実です。

本当に好きなことだけを追い求めて
自由に生きることを教えてくれた貴方

けれども本当に自由に生きるためには
戦っていかなくてはいけないこと
強くなければならないことも
教えてくれましたね。

今日のアトリエの作業では
あなたの曲をずっとI−PODで流していました

そして今は景徳鎮は雨上がりではないけれども
輝くジンライムのようなお月様が浮かんでいます

何か感情を全面に押し出すのって照れくさいし
歌うひとも、受け取るひとも
しんどくなってしまうのでしょうか

桑田さんもそうですけれども
大変なことであっても
どこか斜に構えつつ、笑い飛ばすように
けれどもその根底にあるロック魂と
ちょっとシャイな部分もあるやさしさが
僕は大好きです。

泉谷さんも言っていたけれども
まだ僕もその現実を受け止め切れていないのが
正直なところですが
貴方が教えてくれたことを
大切にして生きていきますので
見ていて欲しいなってそう思っています。

きよしろうさんへ
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ブログ交換日記223(景徳鎮便り62) 09年4月24日(金)メール後半

2009/05/01 10:54
続きです。

5年次は先生の紹介で大学近くの墓石屋の男兄弟(小学校5・6年)の家庭教師。 
夏休みは漫画映画の引率。 
良くしてもらいました、夕食や入浴まで。  
たまにはお父さんと大阪南の飲み屋にも連れて行って貰いました。   
あの子供たちは今、30才位です。  
大学に訪れたらお会いしたいです。  
今はどうしているのでしょうか。 
墓石屋はだれが継いでいるやら。


とぱんださんにも
お寺の娘さんのお知り合いがおりますが
是非娘さんにはカツンカツンと
墓石をこつこつ彫ってもらいたいものであります。

何年か前に大阪の恩師「故藤岡了一先生」宅の帰りに
下宿の京都・桂のうしとら町に寄りましたが、
建物がないので近所で聞いてみると、
郷里の福井に帰ってしまわれたとのことでした。 
お会いしたかったですが。


できる限りぱんだも日本に戻ったときには
友達と連絡を取りつつ会えるように努力しておりますが
毎回のように小牧滞在が1時間だとか2時間だとかで
大変失礼しておりますが

昨日はMさん・Iさんがご帰国されまして
ぱんだ正門前でさびしさをこらえつつ見送りました
8月か9月までのご帰国とのこと
たくさんのお方と楽しい時間をすごされて
また景徳鎮に必ず戻ってきてもらいたいと
願うばかりです。

かなり、大学の話から脱線しました。

景徳鎮陶磁学院はどんな芸術家を創ろうとしているのか。 
カリキュラムの全容を知る由のない60日余の客員です。 
一年という単位で理解できれば
小生の役割はもっと果たすことができるのではと思います。

身の丈を知る・分を知ることは、時間がかかります。 
しかし、日本人陶芸教師が存在するだけでも
学生にとっては大きなことでしょう。  
歴史ある中国で唯一の陶芸専門大学に長い間、
日本人で陶芸を常駐して教えることは
何といっても初めてのことです。

困難は承知です。 
少しの変化を起こすことは時間がいります。 
ここはゆっくりの中国。  
こうやって自分に言い聞かせて日本人特有の焦りを抑えて進行です。

今のところ、決定的なマイナスもなく進んでいることを感謝して、
次の段階に行きましょう。 
ぱんだ君の協力でパワーアップも期待できそうですし。 


でかい組織になればなるほど
そう簡単に方向転換なんぞできないものなのでしょうぞ
20先生も訓練校の係長だったときに
係長さんというのは
上司からも言われて、生徒からも意見の上がってくる
板ばさみ的ポジションですが
当時の課長さんの仕事やらをみていて
「あーおれが課長になったらもっとこうするのに
もっとこうしたら生徒のためになるのに」
と思っていたそうですが
いざ課長さんに抜擢された時に
見えていなかったものがとたんに見えてきたのだそうで
こうしたらいい、ああしたらいい
ということのむずかしさが分かったとおっしゃってましたわ。

ぱんださんの協力は
ほどほどに期待していただければと
思っております(笑)

日語学生は時間とともに残念ながら変化します。
継続はありません。 
あたりの良し悪しは時の運です。  
天が決めてくれるでしょう。  
小生の使命に意義があれば必ず協力者が出現します。

これは60年生きてきた経験です。  
基本は正直に真摯に求めていく姿勢がないと叶えられませんが。 
学院にはまだまだで会っていない学生や先生方が多くいます。 
出会う機会を逸しないタイミングを逃さないアンテナは
いつも全開にしています。 
前に出る時は出て、おとなしくする時は控えます。  
「風林火山」の如く。 
憧れの大久保利通の如く、
凛とした緊張感が出せたらいいなあーと。


ぱんださんもあっちへふらふら
こっちへふらふら
協力者のお方、みてはいられないと
手を貸してくれたお方がいなければ
とっくに道路わきの溝やらに
どうでもいいところで足をとられて
朽ち果てているのではないでしょうか(笑)

中岡「海援隊にはよい人材が多い。
どうやって誘っているのだ」

坂本「ただ『ちょっとこないか』
というだけだぞ

彼らも『自分がほおっておいたら
坂本さんはどうなってしまうのだろう』
と思ってくれているのではないかな」

緊張感の中のユーモアも忘れず、
これは学生にとっての親近感です。  
不測不離の関係も大切です。 
教員としてのプライドは態度と形に表すことにあると思っています。 
徐々に実行です。


ぱんださんは
「若い」
という面でかなり学生さんの見る目、基準は
ゆるくしてもらっているでしょうね。
天然ボケだし。

こんなぱんだがどこまで20先生をフォローできるのかは
果たして疑問ですが(笑)

僕には僕の支え方やら出来ることがあると
思われますのでちょいちょいと
やっていきたいと思っております
なにか足りないことも多々あるとは
思いますがその時にはぽーんと言ってくださいな。

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新党ぱんだ 2009年5月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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